あんずの花里物語

思わず微笑んでしまうリリカルな画風で大人気の蟹江杏の世界観を、作品とエッセイでお届けします。

蟹江杏アトリエ日記vol.16 奇妙な美術教室 番外編

アート 蟹江杏

さみしがりやの花
 

この連載に「奇妙な美術教室」という、
3回に分けて書いた拙文があったのを覚えていらっしゃるでしょうか。
まだ読んでないぞという方は
このページの最後にリンクがあるので、まず読んでいただきたい。

私の師匠、おっさんこと彫刻家松本進との出会いと別れを書いたものです。
その後について読者の皆様にお知らせがあります。

エッセイがインターネット上にアップされて数カ月が経ちました。
書いたことすら忘れかけていたある日、
事務所に知らないアドレスから、
「蟹江さんのエッセイを拝読しました。松本進美術教室について取材させてほしい」
という内容のメールが届きました。
私の文章力が認められていよいよ小説家デビューか!?
と思いきや、そんなことがあるわけありません。
純粋に松本進について聞きたいというのです。

結果的に取材はお断りしたのですが、
ご依頼メールの文面の中に
「松本進さんの息子さんにも先日お会いしてきました」とありました。
私はその息子さんのことが気になって仕方がなくなりました。
おっさんを捨てた家族が、
私のエッセイを読んでどう思ったのか、知りたくなったのです。

前にも触れましたが、おっさんの元奥様は日本を代表する美術教育者です。
息子さんはその元奥様と美術教室を一緒に経営しているのだと、
おっさんから聞いたことがありました。
ネットで教室を検索すればすぐに電話番号が見つかるだろうと思いました。
やはり簡単にヒット。
気持ちを抑えきれなくなった私は、
その番号に電話してみることにしました。

「はい。⚫︎⚫︎⚫︎です」
教室名を名乗る声がおっさんかと疑いました。
「この人だ」と思いました。
息子さんの名前はおっさんから何度も聞いていました。
「Iさんですか? 私、蟹江杏といいます。
生前のお父様には大変お世話になっておりました」
お世話をしていたのは果たしてどっちか!?
というのは置いといて、こう切り出しました。

すると、電話の向こうのおっさんに声が瓜二つの男性は、
少し間を空けて考えていた風でしたが、
とても明るくて優しい、心地のよい喋り方で
「エッセイ読みましたよ。父についてこんな内容が書ける人は誰なんだろう??
って、ものすごく不思議でした」というのです。

「お父様を『変人のおっさん』呼ばわりしてしまいすみませんでした」
と私が謝罪すると、Iさんは笑って
「いえいえ、事実も創作も含めてとっても面白かったですよ」と言ってくれたのです。
声は同じでも、喋り方次第でこんなに良い感じになるのか。
亡きおっさんに「もっと優しく喋りなよ」と言ってやりたくなりました。

Iさんと私は数回のメッセージのやり取りをした後、
対面でお話を伺いたくて都内のカフェで待ち合わせをしました。
約束してから当日まで10日ほどありましたが、
その間、私は警戒していました。
あのおっさんの息子なのだから、きっと奇人変人に違いない。
電話では素敵な雰囲気だったけど、
酒でも一緒に飲んだら、意味不明な難解なことを言い出したり、
なんだかんだケチをつけてくるやもしれぬ・・・と思い、気を引き締めました。

当日、Iさんが予約してくれたカフェが駅から近いことや、
とってもオシャレな佇まいであることに、彼の気遣いを感じました。
約束の5分前に着いた私は、広い店内を見渡しました。
一番奥の端っこの席に、俯き加減に座っている男性がいます。
あの人だ。
なぜかすぐにわかりました。

私が近づくと、彼もこちらにすぐに気がつき、席から立ち上がって笑顔になりました。
目があった瞬間、「おっさんがいる」と思いました。
本当にタイムスリップしたかと思った・・・。
初めて会う人のはずなのに、
懐かしさと親しみが込み上げてきました。
おっさんを5倍カッコよくして、顔を洗って
ちゃんと襟のついたセンスの良い服を着せた感じです。

私の心配とは裏腹に、Iさんはこちらが恐縮するほど丁寧に
「父がお世話になりました。ご迷惑をおかけしたのではないでしょうか」
と、おっしゃいました。
その返事として私からは
「進先生がいなければ、私は画家になっていないです。進先生のおかげです」
と伝えました。

それから私達はいろんな話をしました。
おっさんの元奥様のK先生が亡くなったこと。
Iさんとおっさんの父息子二人暮らし時代の話。
Iさんが家を出て、父である松本進と顔を合わせなかった20年以上の空白の時間に
交代するように私がおっさんと過ごすようになりました。
その時間の中で起こった話。

けれど、おっさんが亡くなる直前に、
Iさんは3人のお子さんを彼に会わせに行ったそうです。
彫刻家松本進に孫がいたんだ。
そして、孤独死かと思っていたおっさんは
ちゃんと自分の命のバトンを見届けてから亡くなったんだ、
おっさんは捨てられてなかった、と思いました。
その事実を知ることができたのは、
これからの私の画業に今までとはまた別の光をもたらすと思います。
そして何より安堵しました。

はじめはコーヒーをお供に話していましたが、
「少しお腹すきませんか。何か食べましょう。お酒は飲みますか」
とIさんが声をかけてくれたので、待ってましたとばかりに
「では、白ワインを」と私が言うと、
「良いですね〜。遠慮しないで、飲んでください。
実は僕、お酒飲まないんですよ。父が、ほら、酷かったし・・・
体質にも合わないんです」と言うではありませんか!?

なぬっ!? おっさんの息子なのに酒を飲まないなんて!
とびっくりしましたが、
いやあ、会う前に警戒して心配していたことは取り越し苦労でした〜、
と思うと同時に
ちょっと残念なのはなぜ??
まあまあ、そりゃあ、お顔が似ていても別の人間。当たり前ですね。
とはいえ、それに引き替えて
おっさんをちっとも反面教師にできていない私は、
「そうですか、では、私だけお言葉に甘えて」と、
ちゃっかりワインもご馳走になってしまいました。

無名彫刻家松本進ことおっさんの話は終わっていませんでした。
彼にまつわる全てはいつも童話のよう。
私が、目の前の大切なことが見えなくなったり、傲慢になったり、
何かに流されてしまいそうになると、こうして、おっさんがやってきては
「杏は画家だろ、絵を描くのが好きなんだろ」って、
あの奇妙な美術教室に引き戻されます。

でも、私はIさんに別れぎわに言ったんです。
「進先生が、このご縁をつないでくれたなんて思いたくありません。
彼は天国に行くようなタイプじゃないし、きっとしっかり土になってるはずです」
すると、Iさんは
「そうだね。そう思います」と頷いてくれました。

「次、杏さんにお会いするときは白いランニングで来なくちゃですね」
と冗談を言うIさん。
いやいや、彫刻家松本進の息子さんは、襟付きのシャツが似合う素敵な紳士でした。

人生は決断の連続のように思えますが、
成り行きと偶然のほうがずっと多い気がします。
きっと私は、近い将来、
おっさんのお孫さんにも、
会うことになるでしょう。
この素敵な成り行きと偶然が描く物語は100年よりもっと先も続くんだと思います。

さみしがりやの花

タイトル:「さみしがりやの花」
サイズ:440×400mm
シート価格(税込):121,000円
額装価格(税込): 145,000円

※別途、送料がかかります。
販売数量:4枚限定
お届けの目安:約3カ月

蟹江杏コレクション

「森の散歩者」(左奥)と「逆さまになった象」 ©松本進
蟹江杏軽井沢アトリエにて撮影

執筆者プロフィール

蟹江 杏(かにえ・あんず)

画家。東京生まれ、埼玉県飯能市の「自由の森学園」を卒業。「NPO法人3.11こども文庫」理事長。ロンドンにて版画を学ぶ。美術館や全国の有名百貨店など、国内外で多数の展覧会を開催。新宿区・練馬区・日野市をはじめ各地の都市型アートイベントにおいて、こどもアートプログラムのプロデュースを手掛ける。東日本大震災以降は、「NPO法人3.11こども文庫」理事長として、被災地の子ども達に絵本や画材を届けたり、福島県相馬市に絵本専門の文庫「にじ文庫」を設立するなどの活動を行う。また、2020年から「SDGs JAPAN」と連携し、アートやアーティストがどのようにSDGsに貢献できるかを、様々な分野のアーティストとともに模索、牽引していく。

https://www.atelieranz.jp

蟹江 杏

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