第3回 回覧板はホームページ

回覧板はコミュニティーの強さの象徴

 談志のお供で前座として全国の落語会を回ったものでした。終わった後のその土地特有の歓待などはとてもうれしいものでもありました。

 落語会での観客の反応も上々で、地酒地魚などのおもてなしもすべてが気に入ると、談志は打ち上げのあいさつなどで「地方のほうが落語にピッタリくる時代なのかもしれない」とリップサービスではなく心から言っていたものです。都会ではなくなりつつある地方特有の「コミュニティーの強さ」が落語のウケにつながっているのかもしれません。

 私も信州育ちですが、そのコミュニティーの強さの象徴に「回覧板」があります。一軒一軒回し読みする形で情報を共有化するというのは、都会ではもはやなくなってしまったシステムですが、実は今住んでいるさいたま市にはいまだに残っています(さいたま市こそまさに「トカイナカ」ですね)。

「地元の小学校の廃品回収の日程」やら、「地域の川掃除について」などのお知らせをチェックし終えたら隣の家に回すのは幾分面倒ではありますが、そこであいさつが交わされたりすることで、「実は一人暮らしのお年寄りの生存確認にもなっている」とも聞きました。

「ああ、子供の頃、ご近所さんに回覧板を届けたよなあ、その時ご苦労さんとか言われて飴玉もらったよなあ」などという思い出もよみがえったりなんぞしますので、これはこれでいいシステムかもと感じたりします。考えてみれば、「回覧板=ホームページ」みたいなものでしょうか。

写真:photoAC

落語は地方都市にフィットしている

 この回覧板、地方ではまだまだ健在で、公民館情報の中に自分の落語会の情報を載せてもらえるケースなどもあり、近所のご年配の方々が声を掛け合って出向いてくれたりなんかしています。このあたりの空気感が、最前の談志の発言にもつながってゆくのでしょう。

 考えてみたら、落語は長屋が舞台となる噺がベースです。「八公がいて、熊さんがいて、お節介の吉兵衛さんがいて、ドジな与太郎がいて、その元締めのような大家さんがいる」。彼らの言動が活写された落語は、郷愁も伴ってどこか一地方ののどかな街角にマッチするような感じがします。「隣に誰が住んでいるかわからない」ような現代の都会とは真逆ですよね。

 地域の人同士が、お互い顔を見合わせながら笑い合っているのを高座から見ていると、こちらもとても幸せな気分に包まれます。きっと、「ああ、うちの近所の〇〇さんは大家さんタイプねえ」「あの与太郎さんの振る舞い、△△さんみたい」などと登場人物に現実のキャラをあてはめて楽しんでいるのでしょう。

 そうなんです、むしろ、現在においては落語は地方都市でこそフィットしているのです。

 談志は、「売れない奴が東京の寄席に出て、売れている落語家は地方に出向く」とまで言い切っていましたっけ。無論極論ですが、コロナが明けたらぜひ落語会などをご企画願います。地域の結束がきっとよりしなやかになるはずですよ。

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