第八回 知らない地層 鳩の街

いないようでいてくれる

人類が言葉を持つ以前の状態を「ピュシス」と呼ぶらしい。言葉を持った人類は何が変わったのか? 言葉は人生の感情を全て言い表せるのか? はたまた仮そめの記号なのか?
「H氏賞」受賞詩人が紡ぐ言葉世界を、トカイナカの風に吹かれながら……。

 

知らない地層 鳩の街


西久保湿地のベンチ 井ヶ田さんのお茶で ほうっとする
森へ向かう畑中の道 黄色い帽子の私たち 名前の無い遠足 そのまま春に
吸い込まれ  教会の幼稚園では イースター 染め卵
高倉の 坂の草むらへ 隠しに行った

霞川を遡る 三軒の家 この十年ほど 黒須の大和橋へ 母と桜見物
五年くらい前までは大がかりな整えも入らず 水面に枝が触れ 差し交し
ここは桜の戦争 母は珍しく 口にしていたけれど 振り返れば見慣れた塚に
女の人たちの慰霊碑 母が小学生の頃も 一家の 女の子ばかり 大水で亡くなった

夏休みの部活動 新品の大きな薬缶 氷屋さんへ 駆け下り
碧村さんと二人 先生と友達へ 全力で 氷を 運ぶ その横に 石の
門柱が二つ 星祭の根本山 廃寺になった寺標が蓮花院にあるという 妹に
先に逝かれた 伯母をエスコートして 母たちの家 万年橋から観音さま
寂蓮法師のこと 鰐口のこと 何も知らず 幼児の頃には ブランコや
ぎったんばったん しんかんじの湧き水の奥 今も 小さな魚を擁し
うままちのこと 本堂の欄干から 母が落ちたこと 空襲の下校時
いたるところにある 茶畑が 母の身を 隠してくれた

バスや車で通るだけだった扇町屋 朝早くに 歩いてみる
一呼吸で過ぎてきた街並み 賀美町 奈賀町 志茂町 案外長く 
子育地蔵 道しるべ 愛宕公園も 初めて入り 温故公園は豊岡小学校
門と木と椅子がある と思っていたら 右の小高いエリア 河原町の道しるべ
運ばれて 隠されて ずっと市報を読んでいたら 知っていたのかな

上橋の大ケヤキを見上げ 谷田の泉へ 勢いの佳い水に ゆびを
浸した 南北に街をはさんで 西久保観世音 八百年のカヤ 乳イチョウ
出雲祝神社へ下ったら 狭山茶の始まりと 発展の碑 十八歳に 離れた故郷
帰省はしていても あまりに知らない 豊かな地層 二本木の賑わい 日光脇往還
白鬚 八坂 桂川 最北端はゴルフ場 池は敷地内 近づけない 西側のくるまみち
芝生の間を 飯能市 栗ノ木橋へ抜けてみる 鳩の頭から 飛び出す豆
尾羽は狭山湖  静かに 翼 羽ばたいて


「なつかしい思い出」©しっぽ

執筆者プロフィール

片岡直子(かたおか・なおこ)

1961年生まれ、入間市出身。東京都立大学卒業。英国系製薬会社勤務の後、埼玉県と山形県の中学校国語科教諭を経て詩人・エッセイストに。第46回H氏賞受賞。詩集に『晩熟(おくて)』『曖昧母音』(いずれも思潮社)、『産後思春期症候群』『なにしてても』(いずれも書肆山田)他、エッセイ集に『ことしのなつやすみ』(港の人)、『おひさまのかぞえかた』(書肆山田)。朗読CD『かんじゃうからね』。青森県~山口県で詩の出前授業。詩とエッセイの講座を20年、各紙誌書評を16年間担当。2018年にラジオ放送局「FM NACK5」開局30周年「埼玉あなたの“街”自慢コンテスト」の川柳の選考をして以来、県内市町村パンフレットを眺めるのが愉しくなり、ほぼ持っています。

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