第6回 とっても優しくしてもらえる地方の近所づきあいの裏側

優しい。あまりにも優しすぎて覚えた違和感

「引っ越してきたばかりでわからんこと多いでしょう」

移住してまもなく。ガラガラ、と戸をひらいてお向かいさんが声をかけてくれました。自治会長さんでもない、ただのお向かいさんです。 

「集落の挨拶まわり、わたしが案内してあげるから」
「え、いいんですか」

引っ越し挨拶の手土産「洗剤セット」を買ったものの、どうすればいいのか。途方に暮れていた僕は、お向かいさんのそのひと言に助けられました。

「まずは自治会長さんから。こういう挨拶には順番があるから」
「は、はい。ありがとうございます!」

集落には、15軒ぐらいが暮らしています。でもそのお向かいさんのおかげで、挨拶の順番を守りつつ、しかも上手に紹介までいただいて、集落の皆さんから歓迎していただきました。 

「若い夫婦が来てくれてうれしいわ」
そんな声もたくさんいただきました。

移住してしばらくのあいだ、「地方移住は、近所づきあいが大変」と言われているなんて知らないぐらい、ほんとに皆さん、良い方ばかりでした。よく言われる「移住者は、村八分にされる」なんて思いもしません。

「やっぱり地方は優しい人が多いなあ」
そう思っていました。

……この集落の裏側を知るまでは。

挨拶まわりのあとも、ごみの捨て方や自治会の会合、祭りの準備など。ことあるごとに集落の人たちは親切に教えてくれました。

ちなみに、真庭市のごみ袋は有料で、名前の明記が必要です

ただ、少しずつその優しさに違和感を覚えるようになりました。なにがなんでも優しすぎる。優しくしてもらえてうれしいんだけど、なんとなくいつまで経っても「お客さん感」がある。地元になじんでいく実感が得られない。

いつまでも「お客さん感」だった理由

そんな折、ふと集落外の方から話を聞きました。

じつは僕たちが移住してくる2年ぐらい前に、この集落にはべつの移住者が住んでいた、という話。初耳でした。

その移住者は、田舎暮らしに強い憧れを抱き、「自分の思いこがれる田舎暮らし像をなんとしてでも叶えたい」と地域の文化と相容れず、やがて地域の人たちとぎくしゃくするように。

そして結局、その移住者は再びべつの地方へ移住。ぎくしゃくしたまま移住したため、話し合いの場もなく、地域の人たちはなぜ相容れなかったのか、どう接すればよかったのか、答えはわからないまま。ざらりとした後味だけが残ったようです。

その後、なにも知らない僕たちが移住してきました。「優しいな」ぐらいしか思っていなかった僕たちと違って、集落の人たちはどうやらかなり警戒していたようです。

「この移住者とは相容れることができるだろうか」
「どう接すればいいのか」

いろいろ考えをめぐらせながら、僕たちに接していたのだと気づきました。結果、距離感をはかりすぎて、度が過ぎた優しさになり、いつまで経っても「お客さん感」が抜けなかったんだ、と思い、妙に納得しました。

4年以上住んだあたりから、「お客さん感」が抜け、「時間が解決してくれるものだったんだな」と知りましたが、いまも僕は「その移住者の件」を集落の方に訊けずにいます。なんとなく触れられたくない、触れてはいけない話題のようで、いまだ集落の宙をふわふわ漂っています。

地方への移住ブームが叫ばれて、数年が経ちました。そのあいだに、全国各地の地方にさまざまな移住者が出入りして、地元の人たちといろんな感情が交錯したと思います。ネットでは、大きなトラブルばかりが取り上げられ、「村八分にされた!」や「地元民VS移住者!」などのタイトルが踊ります。

でも、少なくとも僕のまわりではそういうけんか腰のトラブルはありません。リアルはもっと静かです。静かなまま、集落の人たちは傷を負い、その傷がつぎに来る新しい移住者との関係をぎくしゃくしたものにしてしまう。

移住者の出入りが増えれば増えるほど、僕のようなケースが今後増えていくのでは、と思っています。

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