必殺! 埼玉県共助仕掛人シリーズ
共に支え合う豊かな地域づくりを目指して

必殺! 埼玉県共助仕掛人シリーズ

 埼玉県は、地域の人々が共に支え合えるよう、市民活動団体やNPO法人、企業等をマッチングし、活力ある地域づくりを推進しています。現在31名の共助仕掛人が県に登録され、各地で活動をしています。みなさん本業の傍ら、自治会、NPO、企業、学校、などとの連携をお手伝いする市民活動のコーディネーターです。このコーナーでは共助仕掛人のみなさんにリレー式にそれぞれの活動を発信してもらいます。

共助仕掛人の紹介

埼玉県の助成(ネーミング事業)を得てまちぶんで作成した、町並みのイラストマップ(2017年)

 

第2回 小川町の文化を守る。NPO法人 小川町創り文化プロジェクトの平山友子さん

 埼玉県の中央部に位置する小川町で、まちづくりのNPO法人「小川町創り文化プロジェクト」(通称:まちぶん)を立ち上げて5年になる。小川町は古くから交易地として栄えた。川越秩父往還沿いの中心部には今も出桁造りの商家が並び、裏通りには土蔵や小商人の店舗兼住まいだった建物が残る。中でも目を惹くのが、南裏通りの5軒長屋(田中家長屋)だ。ゆるくカーブする道に沿い、湾曲して建っているのが珍しい。正確な建築年は不明だが、幕末という説もある。

 6年前に小川町の隣の寄居町に移住した私達夫婦は、移住の準備段階でこの長屋と出会い、湿った匂いのする通り土間に一目ぼれしてしまった。私以上に連れ合いが乗り気だった。衝動的に借りてしまったのはいいが、何するあてもない。とにかく町に開いた場所をつくろうとオープンさせた。最初はギャラリー、そしてカフェ、古道具も扱った。目指したのは大人の駄菓子屋。オープンしてすぐにいろいろな縁がつながった。

 最大のご縁は長屋の所有者夫妻との出会いだろう。夫妻は小川町で代々続く商家の主だ。人口が減り、閉ざしたままのシャッターが目立つ商店街の様子を憂慮していた。歴史ある建物を活かして町を元気にしたいという思いを共有して勉強会を始め、その流れでNPOを設立することになった。メンバーは、美術館の元学芸員や里山保全に注力するセルフビルダー、若手建築家など多彩だ。

「シルクロード・ネットワーク・鶴岡フォーラム2018」で小川町と玉成舎について発表(2018年6月)

町に残る産業遺産を今に活かす

 小川町は、地域資源の引き出しをたくさん持っている。その筆頭が、ユネスコの無形文化遺産に登録された細川紙という和紙だ。一説によると1300年の歴史を持つという。紙質は質実剛健。火事とけんかは江戸の華の時代、ジャンと半鐘が鳴ると商人達は大福帳を井戸に投げ込んで逃げた。火が収まって引き上げてみると、紙は溶けないどころか、墨のにじみすらなかったそうだ。

 明治以降も紙の産地として発展し、機械漉きの紙も盛んに製造された。赤福という伊勢(三重県)のお菓子のパッケージも小川町で漉かれている。この伝統産業の灯を点し続けている施設が、小川町和紙体験学習センターだ。建物は1936(昭和11)年に埼玉県立小川製紙研究所として建てられた。紆余曲折の末、1999(平成11)年に町営となり、細川紙の製造技術継承や和紙漉き職人の後継者育成を行っている。

 この建物は全体に質素な構成と簡素なデザインながら、外壁のドイツ下見板、スクラッチタイルの使用、半円形の窓などに昭和初期のデザイン感覚が残る。現在は、まちぶんのメンバーである町議会議員が、登録有形文化財にする働きかけを町に対して行っている最中だ。

 かつて着物の裏地に使われた「裏絹」も小川町の名産品だった。往還から南に下った路地の奥に玉成舎という建物がある。上棟は1888(明治21)年。元は養蚕技術伝習所だ。生糸が日本の主要輸出品となった明治時代、品質は低下し、日本の信用は地に落ちた。このため、明治政府は富岡製糸場(群馬県)の創設など製糸技術の向上に取り組むことになる。玉成舎は私設ではあるが、目的は同じく養蚕技術の向上であった。竣工間もないころから集会場としても使用されており、1891(明治24)年には板垣退助が訪れて演説した記録が残る。

 玉成舎は町の黄金時代と深く関わっている。大正時代の末、設立者の息子が当時着物の裏地に使われていた紅絹染色を試み、染色加工を始めた。これがヒットし、小川町に莫大な富を蓄積させたのだ。しかし時代と共に裏絹の製造は衰退し、染工場は1980(昭和55)年ごろに廃業した。

 5年前に私が初めて見た玉成舎は、成りこそ立派なものの、瓦は落ち、雨戸はベロベロにはげた廃屋同然の姿だった。その頃は創業家の縁者の高齢女性が独りで住んでいた。ある日、小川町の景観担当の職員から連絡が来た。「住み手の息子さんが玉成舎を壊すと相談に来たけど、どうするの?」。

玉成舎の施工は、建築家主導のワークショップを採り入れた。土間のたたきをつくる作業は重労働(2019年1月)

 

まちぶんではまち歩きの案内を行っている。玉成舎の前で説明するメンバー(2020年2月)

 まずはまちぶんの代表理事とその夫人の町議が行ってみたら、遠方に住んでいるご子息がたまたま来ていた。私もすっ飛んでいき、「直せます、活かせます」と大風呂敷を広げた。ご子息は建物の歴史的な価値を充分承知していたものの、瓦が落ちてくる危険な建物を放置しておく訳にはいかないというのだ。その場で知り合いの瓦職人さんと建築家に電話したら、ふたりとも数日後には見に来てくれた。建築家は、その後ずっと設計者として再生の最前線で尽力してくれることになった。

 なにはともあれ、保存するには購入してくれる人を探さなくてはならない。町内で長年有機野菜食堂を営んでいる夫婦が、もっと広い場所に移りたいという話をたまたま小耳に挟んでいたので声をかけた。見に来てくれたのは良いが、雨漏りで床が抜けた状態では乗り気になるはずがない。そこで建築家が再生後のイメージをスケッチに描いてくれた。

 これが功を奏して新オーナーが決まった。とはいえ、取得費以上に改修費がどれだけかかるかわからない。資金計画について商工会に支援を依頼したところ、綿密な事業計画ができて低金利の融資が実行された。改修に当たっては、床板張りや壁塗りなど建築家の陣頭指揮によるワークショップで行った。

 2018(平成30)年、玉成舎は複合施設としてよみがえった。最初に前所有者に向かって大風呂敷を広げたとき、建物の惨状を見て心中ではひるんでいたのも確かだ。ここまでこられたのは、多くの方々が関わったからだ。バトンをつなぐようにして成し遂げた、奇跡のプロジェクトだったと思う。

玉成舎は埼玉県が主催した空き店舗ゼロリノベーションコンペで最優秀賞を受賞した。町の人を集めて報告会の様子(2019年5月)

水路と路地の町に登録有形文化財を増やす

 小川町には、川越のように豪壮な建物は少ない。しかし、緩やかに蛇行する往還に沿って、ちょっとくたびれた生活感のある町並みが続く風景は心を和ませる。5年間小川町で活動してきて、この町の魅力は路地と水路だと思った。往還と南北の裏通りを結んで、ネコしか通らないような路地が縦横無尽に張り巡らされている。人の家の脇をすり抜けるようにくねくねとした路地をたどっていくと、突如見慣れた風景が広がる。この町に来たばかりの頃は、そんなスリルを楽しんだものだ。

 南裏通りの路地を伝って南下すると、槻川に突き当たる。小川町の伝統産業を育んだ、母なる川だ。かつては川原に小屋が建ち並び、その中では老婦人が和紙の材料となる蒸した楮(こうぞ)の塵を取っていたという。また、川越経由で東から運ばれた米や、地場産の小麦を挽く水車小屋も多く見られた。その粉を使った素麺やせんべいが小川町の名産品だった時代もある。今でも小さな水辺の風景を、至る所で見ることができる。

 小川町で活動を始めてから、さまざまなことがあった。マスコミでまちぶんの活動が何度か取り上げられたこともあってか、町の知名度が上がってきたと感じている。また、刺激を受けた後進がまちづくりの活動を始めるなど、新しい動きも出てきた。最近では、建築学科の大学院生が移り住み、1884(明治17)年創業(建物の建築年は不明)の旧比企銀行をセルフリノベーションしている。まちぶんが所有者に交渉し、「貸店舗募集」ののぼりを立てさせてもらったことが機縁となった。

槻川はまち歩きの人気スポット(2020年3月)

旧比企銀行の借り手を探す前に、まちぶんのメンバーで実測調査を行った(2019年)

 5軒長屋を借りて営んでいた店は閉じた。最初から5年という期限を設けていたこと、町の中にカフェバーやレストランなどさまざまな場所ができ、第2世代第3世代に移行していることなどが閉店の理由だ。すべて自分達でしなければならず、追い風と逆風が交互に吹き荒れて翻弄されていた頃に比べると、ずいぶん穏やかな日々が訪れた。しかし、小川町に放置されたままの歴史的建造物がある限り、私達の活動に終わりはない。

 現在取り組んでいるのは、登録有形文化財を増やしていくことである。小川町では2004(平成16)年に登録となった割烹二葉とその離れの六六亭に加え、先述した5軒長屋(田中家長屋)が今年2月に登録された。玉成舎もまもなく登録予定だ。それに続く事例の調査のため、助成金の採択も決まったところである。歴史的建造物は使われてこそ命を持つ。そのための第一歩となる活動が、私達の役割だと考えている。

NPO法人小川町創り文化プロジェクト(まちぶん)

執筆者プロフィール

平山友子(ひらやま・ともこ)

1960年生まれ、東京都目黒区出身。夫とふたり暮らし。2015年に寄居町の父の作業小屋をセルフリノベーションして移り住む。その過程で小川町の5軒長屋と出会い、コミュニティスペース「たまりんど」をオープン(2015~2020年)。2016年に長屋の大家さん達と、歴史ある建物を活かしたまちづくりを行うNPO法人「小川町創り文化プロジェクト」を設立。複合施設「玉成舎」の再生に関わった他、歴史的建造物の調査や定期的なシンポジウムの開催、まち歩きの案内などを行っている。本業は住宅ライター。

平山友子


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