必殺! 埼玉県共助仕掛人シリーズ
共に支え合う豊かな地域づくりを目指して

必殺! 埼玉県共助仕掛人シリーズ

 埼玉県は、地域の人々が共に支え合えるよう、市民活動団体やNPO法人、企業等をマッチングし、活力ある地域づくりを推進しています。現在31名の共助仕掛人が県に登録され、各地で活動をしています。みなさん本業の傍ら、自治会、NPO、企業、学校、などとの連携をお手伝いする市民活動のコーディネーターです。このコーナーでは共助仕掛人のみなさんにリレー式にそれぞれの活動を発信してもらいます。

共助仕掛人の紹介

第3回 trailer 埼玉県北・ニアベンチャー 2010s。
NPOくまがやの小林真さん

 埼玉県北「赤城おろし文化圏」。そう呼び始めたのは、40代なかばで地域デビューした10年ほど前だ。中山道の宿場だとか荒川扇状地だとかは、数多ある他資料にまかせよう。ここではわたしが17号バイパスの往来で出くわしたシーンを、宮島健太郎のイラストをアイキャッチャーとして映画の予告編風に切り取った(文中敬称略、団体などの名称はおもに通称を使用)。

◇ ◇ ◇

「アヤシかったな。だから竹石さんに、ああいう人信じちゃだめですよっていったんだよ」(元深谷シネマスタッフ・飯塚由美/2013年頃)

 2009年秋、国内初のNPO運営映画館・深谷シネマは、閉店した銀行跡で営業していた。「平成・映画のまち」をテーマに本に書きたいと現れた男の印象を、飯塚由美は上のように振り返る。しかし翌年夏、シネマが移転した七ツ梅酒造跡で飯塚が企画した期間限定のビアガーデン「深谷食在」では、そのアヤシイ男・小林真がポスターを制作した。

ザ・ビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケット風に古今東西の名作を旧七ツ梅に配置した宮島=小林コンビ初期作品。完成近くなって著作権が心配になってきいてみると、「小林さん、おこられたら謝ろうよ」(竹石)。以後、小林は市民活動テーマの講座でカルチャー系ベンチャー精神の真髄として何度も引用する。ポスターは2011年1月の泥ねぎ丸焼きイベント「深谷カルソッツ」で、ジョッキをねぎに持ち替えてリユース。
深谷シネマ
深谷食在(休止)

「じゃ、ここに1000円入れてください。さあ、どんどん飲んで食べて、うん」(深谷シネマ館長・竹石研二/2010年8月)

 ビアガーデンは、知った顔がサーバーのビールでダベる日常的な夏の飲み会の連続に終わったが赤字もない。ポスターイラストは、小林経営の塾OBで当時30歳手前のニート宮島健太郎。小林の中学同級生・深谷のもやし屋飯塚商店の啓発マンガ、深谷映画界の記念碑的作品『SR2 サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』のロケマップを手がけた小林・宮島コンビは、2010年の秋に深谷市産学官連携プロジェクト「ゆめ☆たまご」の公式マンガを描くことになる。

2009年「ふかや映画祭」同時開催として、旧七ツ梅で「もやし絵本原画展」が行われた。モップをかけているのは、絵本原画を描いたイラストレーターことな(熊谷市のマスコットキャラクター「ニャオざね」作者)と宮島健太郎で、窓ガラスを外しているのは宮島の同級生の持田淳。酒造作業場だったこの場所はその後、宮島らの2年先輩が営む鬼義(鬼瓦の製造・販売元)の工房を経て、現在はビンテージショップBlance(ブランス)になっている。
まち遺し深谷(七ツ梅酒造跡を紹介)
もやし絵本原画展(飯塚商店ブログ)

「色が間に合わなければ、『塗り絵』だっていえばいいじゃないですか。小林さん、マンガっていったって『現象学』なんですよ。なんとしてもかたちにしましょう」(「ゆめ☆たまご」担当の深谷市職員・福嶋隆宏/2010年10月)

 初体験のマンガ冊子の制作は、思っていたようには進まない。弱気になった小林から間に合いそうもないと相談された福嶋隆宏は、自身の博士論文のテーマを引いて説得。これを「デニーズ現象学会談」と呼ぶ。

 この言葉がヒントになって、色塗りDTP作業を市民にボランティア募集してどうにか完成。宮島、福嶋ともうひとりの「ゆめ☆たまご」担当の山田清徳、飯塚由美、小林は深谷シネマ事務室で夜を徹した最終作業を行い、小林はフラフラになりながら翌日の市・定例記者会見に臨んだ。

デザインはもちろん、ザ・ビートルズ『ハード・デイズ・ナイト』の引用。宮島が「産業祭が終わったら、いっぱい捨てられてるんだろうな」とこぼした24ページの冊子は、2021年4月、NHKの首都圏ニュースで渋沢栄一関連としてゆめ☆たまごが取り上げられた際、画面上に数ページが引用されて関係者を感涙させた。DTP担当は飯塚由美。「Whitten by Makoto Kobayashi」という転記間違いは、ジョン・レノン『アイ・フィール・ファイン』のフィードバックを参考に小林真のデザイン講座のネタになっている。
ゆめ☆たまご(終了のお知らせ/深谷市HP)
ゆめ☆たまご Fukapedia
ゆめ☆たまごマンガ

「産業祭はおもしろくない」(深谷のもやし屋飯塚商店社長・飯塚雅俊/2010年10月)

 2010年の深谷市産業祭で初めて公の場に出たゆめ☆たまごには、既存組織に満足できないメンバーが揃っていた。翌年の東日本大震災もあって価値観が揺さぶられた地域社会に、それまでの不満をぶつけたイベント、商品を次々に問いかける。

 とくに活発だった食品部門が、「風土飲食研究会」として独立。深谷ねぎの品種研究から派生した泥ねぎ丸焼きイベント「深谷カルソッツ」は瀧宮神社での「深谷ねぎまつり」に発展し、先述のデニーズ会談の「現象学」は小林のねぎ文学『「深谷ねぎ」の現象学』のタイトルになる。被災地に無償提供された『「ありのまま」のもやし栽培キット』は、自由研究がある夏休みに毎年売上が伸び、コロナ禍のステイホームでも注目されたロングセラー商品だ。

もやしは誰でもどこでもつくれる。その事実を伝えようと、2009年の絵本原画展で始めた豆とマニュアル配布の発展形。当初はプラスチック製容器が構想され、本庄市の業者に相談したが、型の成形で100万円かかるといわれてショックを受けた帰りが2011年14時46分だった。ゆめ☆たまごのメンバー、包材業者オリケイ・鵜養武宏社長の提言による安価な既製ジップアップ容器使用で商品化が加速。「もっとも美しく思想に満ちたマニュアル」をめざして制作され、構成・撮影・テキストは小林真、DTPは飯塚由美の元同僚・正田美由紀で、市職員・山田清徳考案によるキャラクター深谷ねぎ之進もみえる。小林真は、「作業料は安くても、すぐ話をききにいけて誰からも文句をいわれない地産地消製作」のファーストインパクトとしてその後、多くの機会で言及。
ベジタブルテーマパーク フカヤ(「ありのまま」のもやし栽培キット紹介)

「よし、明日は晴れるぞ」(NINOKURA蔵主・飯塚由美/2012年1月21日夜半)

 七ツ梅酒造跡のビアガーデンは、飯塚由美のコミュニティカフェ起業の布石だった。新客はわずかだったが、となりの本庄市で「宮本・蔵の街」を建設中の設計士・戸谷正夫がいたことは大きい。飯塚は戸谷から、明治22(1889)年造・白壁漆喰塗りの「二の蔵」を紹介されて気に入る。小林真は「ゆめ☆たまご」マンガ協力の恩返しと、本庄に通った。

 東日本大震災で遅れるも、カフェ「NINOKURA」は2011年6月にオープン。半年が過ぎ、前夜半に及んだ準備が間に合い、それまでの大雪がやんだ空を見上げて飯塚由美はつぶやき、翌2012年1月22日、戸谷夫妻仲人による蔵前式で小林由美になった。

戸谷正夫はNHKカフェ番組の取材時に、宮本・蔵の街最大のイベントだったとコメント。「バージンロード」は前の道路。多目的ホールだった「三の蔵レンガホール」と NINOKURAの1、2階を有線ケーブルでつないだ。誰を呼んだらいいかわからないので会費を払って参加の「かけつけ隊」システムの披露宴は12時間以上に及んだ。
NINOKURA

「スケアクロウ知ってるの?」「ジーン・ハックマンとアル・パチーノ! あのスケアクロウ?」(劇団NINOKURA『赤城おろしでスケアクロウ』より/2012年1月)

 NINOKURAはコミュニティカフェ。つみっこ(すいとん)をはじめローカル色の強い飲食が売り上げのメインだが、ローカルカルチャーの拠点創造が蔵主の意図だった。

 あるもので何とかする、はローカルのルール。開店してすぐに出演映画DVDを持って現れた岡部(深谷市)の今井雄一と小林真の塾OB・木部裕貴が1973年の名作の舞台をカリフォルニアから本庄のカフェに移し、開店を報じた全国紙地方版に加えられた募集に応じた俳優を加えて「劇団NINOKURA」はデビュー公演を行った。

劇団NINOKURAは、素人が自分自身を演じる赤城おろし二部作以来休止中だが、復活を望む声は多い。あと80分の命の父親を喜ばせようと世界一周して写真を撮る『八十分間「赤城おろし文化圏」一周』は、今は解体された群馬県伊勢崎市のパチンコ店のスフィンクスがモチーフ。その後、今井雄一はNINOKURAスタッフ(店長と呼ばれる)になり、NINOKURAがNHK『ふるカフェ系 ハルさんの休日』の舞台となった際、もっとも多くのセリフが与えられた。
劇団NINOKURA

「あの『ぼくに古ハウスを貸してください』で思ったんですよ。いま本庄が一歩リードだって」(県北のまちづくりを渉猟する深谷市職員・深町裕子/2014年秋)

 2014年、「本庄オープン古ハウス」ワークショップでの当時23歳、ミニFM局「FM KURARA」局長・儘田嘉彦発言を、深町裕子はそう称えた。古ハウスは、本庄に多く残る古い建物を公開して活用を考える「まちの動き」。小林由美が深谷のイベント「ふかや花フェスタ」をヒントに発案し、町おこしを行っている市民グループ「本庄まちNET」の協力のもとでテーマを変えながら続いている運動だ。

本庄オープン古ハウスは県文化振興課の補助を受けた2014年の「4」が歴代最大規模で、本文発言のあったワークショップの様子。定番のまちあるきをはじめ、蔵主のライフワークである循環型ハンドメイド提案「〈いらず〉いらず市」マーケット、ガイドブック「The Book」発行、ワークショップとして制作の「The Movie」は市が募集した観光映像優秀賞受賞、FM KURARAもオンエアした。動画制作は自立生活ネットワーク、FM KURARA と協働した合併10周年記念映画『本庄・テン』につながる。
本庄オープン古ハウス
FM KURARA(休止中)の小林執筆記事
本庄・テン(Youtube)

「これって、いつもやってることじゃない。定収入あると助かるから行ってみれば。それにしてもわたしが深谷に縁があるみたいに、よっぽど熊谷に縁があるんだね」(小林由美/2014年夏)

 熊谷市の地域活動コーディネーター「共助仕掛人」。小林真が募集を知ったのは、オープン古ハウスを訪れたLLCローカルデザインネットワーク・齊藤哲也のSNSシェアだった。「そうか、こういうの『市民活動』っていうんだ」と思いつつの作文と面接。小林真は、熊谷高校、20代は中学3校での臨時的任用教員、そして50代での共助仕掛人と3期目の熊谷通いを始める。児玉郡上里町出身の小林由美は、深谷商業高校、深谷シネマ、結婚後のすみかが深谷だ。

熊谷仕事最初の宮島の仕事は「小江川1000本桜」ガイドで、里山風景をマンガ風にみせた。その後、同事業が全国花のまちづくりコンクールの「花のまちづくり大賞」を受賞した発表映像では、同じような環境の本庄市児玉町東小平を紹介した本庄のギタリスト・長谷川瞬の『本庄・テン』オリジナル・サウンドトラックを使用
小江川1000本桜ホームページ
「花のまちづくり大賞」受賞報告動画

「ほとんど活動してないNPOがあるんだけど、何とかなんない?」(その後フリーペーパー『TOWN NEWS NAOZANE』『TOWN NEWS Seien』を創刊する印刷・出版業の株式会社ピーアイピー社長・植竹知子/2014年8月)

 その夜、熊谷の各界約10人が〈空きNPO〉対策に、大露路商店街の一事務所に集められた。その場は初対面の顔合せに終わったが、約1年後、本庄のFM KURARA開局をサポートしたミニFM「熊谷ヤバイラジオ」代表・宇野元英の実家、旧宇野商店をリノベートしたコミュニティサロン「Kyuno(キューノ)」の補助金申請にNPOの法人格を活用。申請を機に宇野、小林真が理事に加わった「NPOくまがや」は、2017年から熊谷市市民活動支援センターの指定管理者となる。

2016年1月、Kyunoこけら落としのワークショップ。深谷・入江アカデミア、本庄・NINOKURAと3週連続でことばがテーマの「中山道ワードロードショウ」として開催された。Kyunoはその後、多くの活動のベースとなり、宇野元英は3年後にコミュニティFM「FMクマガヤ」代表となる。
熊谷市市民活動支援センター
Kyuno
熊谷ヤバイラジオ
FMクマガヤ

「フツーの主婦が考えたの! 小林さん、これってまさに市民活動だと思わない?」(共助仕掛人・藤井美登利/2018年夏)

 もとは上尾在住・三科順子の「ICTコンテスト」応募作。バスケットボールのオリンピック会場となるさいたまスーパーアリーナで、メガネ型ウェアラブル端末で国歌を歌って出場国をもてなそうというアイディアだった。

 ユニークさをキャッチした藤井が、ラグビーワールドカップ2019の開催が近づく熊谷にパス。メガネは消えて「国歌でおもてなし」が残った。半年後、小林がゆめ☆たまご以来の知り合いでラグビーロードランニングチャレンジを始めていた熊谷のベーグル専門店「ウスキングベーグル」の店主・臼杵健にボールを出す。

 大手メディアは飛びつき、8月のメインスタンド練習会で三科は声を張り上げた。臼杵団長の「熊谷ラグビー合唱団」はコロナ禍の翌夏、発表の機会を失った中高吹奏楽部のための「ラグビー場で、のびのび演奏撮影会」を展開する。

 連発するアクションの源泉は何か。市民活動支援センターで合唱団団員・ミートファイターきゃんぴらに問われて臼杵は語る。「SNSとかみてみろよ、不満や不安がいっぱいじゃないか。何とかしようと呼びかければ、みんな集まるよ」。

写真提供:熊谷ラグビー合唱団

練習会スタンドの三科(前から2列目通路側の女性)

2018年夏、三科は息子の母校・熊谷高校音楽部に押しかけてジョージア国歌を収録。欧州小国の国歌をジャパンの高校生が男声合唱で歌うYoutubeは本国でも歓迎されたが、活動は行き詰まっていた。翌年冬、ウスキングベーグルで臼杵・三科が初対面。小林真、臼杵、三科息子は熊谷高校應援團OBでもあり、臼杵は「こんなに熊谷を好きでいてくれるなんて」と合唱団結成に動き始めた。
三科のICTコンテスト応募作「世界をひとつに ICTで 世界に愛を届けよう」
ジョージア国歌演奏 by埼玉県立熊谷高校音楽部
熊谷ラグビー合唱団

「下から描けばいいんじゃないンすか? もともとありえない絵なんだから、テレビと同じじゃなくたっていいっスよ……」(イラストレーター宮島健太郎/2021年3月)

 深谷エリア全戸配布のフリーペーパー「Seien」、創刊半年の2021年4月号。編集長・植竹知子からの巻頭特集のリクエストは「放送1カ月の大河現象をまとめてよ。表紙、なんかある?」だった。

 小林真はNHK 大河ドラマ『青天を衝け』の第1回放送で、NHKは深谷の地形を知らないと騒然とさせた〈血洗島の滝〉がメインの宮島イラストを提案。宮島はテレビ画面と同じように滝を見下ろす絵を3回描き直し、180度回転させた構図が生まれた。

 コロナ禍でも全国的な注目が集まる中、地元視点で没90年の深谷渋沢を検証する「二〇二一年春。栄一、プレゼンツ…」。この春開局のコミュニティFM「FMふっかちゃん」のパーソナリティで群馬県富岡市在住の山内まも留は、小林がゲストの放送で「自分が思ってたことが全部書いてある」とコメントした。

ピーアイピーの地域みっちゃく生活情報誌®「NAOZANE」創刊号では21世紀に生きるヒーロー熊谷次郎直実を、5年後の「Seien」創刊号では渋沢栄一の系譜である深谷出身のオリジネーター群を小林は記事にした。山内は芸能事務所「大川興業」に所属していたキャリアを持つ。映画のまち・深谷に引き寄せられ、中学生だった長男の自主制作映画をはじめ、多くの映画の美術担当やエキストラを経て、世界的問題作・塚本晋也監督の映画『野火』では軍医役で俳優としてクレジットされた深谷関係人の代表。
NAOZANE(地域みっちゃく生活情報誌® 中広HP)
Seien(同)

◇ ◇ ◇

「赤城おろし文化圏」は、埼玉県北と群馬県南部、栃木県南西部に広がる気候を同じくする地域をさす。冬の同じ風に吹きつけられて生きる行政区で引き離された同胞が、利根川をはさんでとなりあわせ。埼玉県北民に「甲子園では浦和学院より前橋工業にシンパシーを感じる」というと頷かれることは多い。

 武州民としての辺境意識と、一都三県に属する矜持とのアンビバレントが人々に共有される。市域は分かれていてもだいたい「県北」とくくるエリア感、サイズ感がしっくりくるようだ。

 ほかで長く暮らしたことがなく較べようがないが、こうやって思ってもみなかったこと、東浩紀著『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』の「誤配」がつながるのは、この土地の「ちょうどよさ」と「何にもなさ」ゆえではないかと仮説している。もとが誤配だから、失敗、不発だらけはもちろんだ。

 国内観測史上最高温の夏とかわいた季節風の冬にさらされる、極端で「苛烈」な空気。そのかわりなのか、災害の少なさ、行き来が容易な平地、360度にとなりまちがある内陸、距離のわりに優れた都心とのアクセス、多過ぎも少な過ぎもなく志が同じ人同士がすぐ知り合える人口密度、都市と自然の絶妙な割合、でっかい青空に育てられたおおらかさが「いいあんばい」なのだろう。たとえばエリア最大の祭り「熊谷うちわ祭」は、群馬県太田市世良田町から現在の深谷市域の農村文化を結集した地方都市のミクスチャーだ。

 ここでわたしは40代半ばまで、晩は小さな学習塾で中学生や高校生に5教科とオプションに役には立たないことを吹き込みながら、昼間はおもに都内の仕事で編集者/ライターをして暮らしていた。

 21世紀は世界の映画やサッカーが、どこにいたって楽しめる。そんな〈いながらアドベンチャー〉で満ち足りて、「近く」は何もない、飲みに行ったりラーメンを食べたり、映画館に出かけたりするだけの場だった。

 それが深谷シネマと同級生のもやし業のPRをきっかけに出直して、フェデリコ・フェリーニの映画のようなファンタジー、UEFAチャンピオンズリーグのようなエキサイトメントが広がっていることに気づく。近くの冒険。〈ニアベンチャー〉とでもいおうか。

「埼玉県北に何もない? そんなことないですよ」(「さきたま新聞」発行人・小川美穂子/2011年4月頃)

 地域デビューの頃、このあたりでもっとも背筋が伸びて優雅な地方紙の主宰者は「何もない」というわたしの発言を、ある時そう正した。ずっと引っかかっていたけれど、2010sを過ごした今、何かがあるかどうかはともかく、「何もない」と誰もが思っている地域観こそを大事にしたいと思い直している。

 映画のまちだ、繭市場だ、ラグビータウンだ、近代日本の父だ、とめまぐるしいのは「何もない」特権。どこにでもあるまちで暮らしているから、よりおもしろくみんなのアクションが多動的となり、アクセスが容易だから思いが伝播しやすい。それがこの地のエートスではないか。
 劇団NINOKURA第2回公演は、こう締めくくられた。

「ナッシング・ハズ・エブリシング」(『八十分間「赤城おろし文化圏」一周』より/2014年8月)

 2010sのスタートは「映画のまち・深谷」の本だった。10年経っても完成しないで「書く書く詐欺」を自称するようになり、同時に次から次におもしろいシーンが起こって書きたいことが増えていく。今度はじっくり、『埼玉県北・ニアベンチャー 2010s』っていうタイトルにして……。
 そんな埼玉県北にぜひ。何もないから、何でもできます。

2019年8月、「NINOKURA5周年・蔵主長男誕生記念」と銘打たれた「利根川フェーン音楽祭」での、orquesta NINOKURA 『ビューティフル・ボーイ』でボーカルは小林真。「利根川フェーン」は伊勢崎、熊谷、館林あたりの夏の高温をさす小林真の造語だ。「ローシキイ(=敷居が低い)&ジャンルフリー」の音楽祭は2月の「赤城おろし」の時期との年2回開催している。

小林 真(facebook)
https://www.facebook.com/makoto.kobayashi.9883/

カロンタンのいない部屋から(blog)
https://blog.goo.ne.jp/quarante_ans

執筆者プロフィール

小林 真(こばやし・まこと)

1963年深谷市出身・在住。本文にあるように零細塾(今でいう「学習支援+居場所」)+編集・ライター生活20年の後「地域デビュー」。深谷市産学官連携プロジェクト「ゆめ☆たまご」とその派生の「風土飲食研究会」、本庄で蔵のカフェをベースにした「NINOKURAでもくらあーと倶楽部」を経て、熊谷市共助仕掛人から現在は熊谷市市民活動支援センター所長(指定管理者NPOくまがや副代表)、立正大学地域連携コーディネーターを務める。48歳で結婚し52歳で父親に。

小林 真


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