第4回 六十の手習いで描いた絵が世界を魅了 洋画家・荻久保静子さん

埼玉コンシェルジュ 尾内あゆみレポート

長年の取材の中で出会った人やお店、名品など隠れた埼玉の魅力をお伝えします!

 2021年5月、世界12カ国の国際美術評論家により構成される「世界基準国際芸術文化協会」の監修のもと『近代日本美術総覧』が刊行されます。これは明治以降の日本を代表する芸術家を世界に向けて初めて本格的に紹介する国際的な書籍で、世界中の美術関係者から注目を浴びています。

 書籍では日本を代表する芸術家30人が紹介されます。その一人が埼玉県越生町に住む洋画家・荻久保静子さん(81歳)です。60歳を過ぎるまでまったく絵を描いたことがなかったという荻久保さんが世界で活躍するアーティストになるまでを聞きました。

荻久保静子

世界が注目する洋画家の
荻久保静子
(おぎくぼ・しずこ)さん

絵との出会い

 埼玉県川口市で生まれた荻久保さんは、結婚を機に越生町で生活をするようになりました。子育てを終え、60歳を過ぎてご主人の介護をしていた頃、地域の友人に誘われて「ニューサンピア埼玉おごせ」で開催されている生涯学習の場「こうねん大学」の絵画クラブに通い始めます。

 絵の基本を何も知らなかったため、教室では思うままに水彩画を描きます。すると、作品を見た教室の講師は「あなたは天才だ」と口にしたそうです。その後、「描き直しができる」という点から自己流で油彩画を描くように。初めての作品を、講師の勧めで自然美術協会が主宰する公募展へ出品しました。

 その作品「夜明け」が最優秀賞を受賞。銀座のギャラリーに展示されたそれを見て感激したのが、フランスのポスト印象派の画家、ポール・ゴーギャンの孫で芸術家のタイ・マルセルさんでした。この出会いが世間に広く知られるきっかけとなったのです。

夜明け

公募展初出品で最優秀賞を受賞した「夜明け」

越生町から世界へ

 荻久保さんは洋画家としての人生を歩み始めます。2011年の東日本大震災後に描いた作品「生きる輝く」は2015年ミラノ国際博覧会に出品されました。さらに人から人へと魅力が伝えられ、世界三大美術館に数えられるロシアのエルミタージュ美術館などからも声がかかって個展を開催しています。

 フランスのルーブル美術館の館長からは「静子の絵は万人に元気を与える」とまで言われるほどの人気になり、一躍有名になった荻久保さんですが「私に絵のことは聞かないで」と笑います。

生きる輝く

東日本大震災の直後に描いた「生きる輝く」

描きたい時に描く

 絵の基本を習っていないため、作品の描き方はあくまで自己流。「こういう絵を描いてほしい」という要望には応えず、描きたい時に描きたいものを描くのが荻久保静子流です。現在は一人で暮らす自宅の一部屋で、新たに富士山の作品を描いています。

 自由気ままなスタイルと、いつまでも謙虚で明るい人柄が、多くの方に元気を与える作品を生み出しているのでしょう。そして、荻久保さん自身も作品を描くことで自分を奮い立たせ、元気を得ているように感じました。


荻久保静子さんのインタビュー動画を見る

執筆者プロフィール


尾内あゆみ(おない・あゆみ)
1985年生まれ、所沢市出身、飯能市在住。高校卒業後、入間ケーブルテレビグループに入社し、14年にわたって入間市で取材・番組制作に携わる。2017年より毛呂山町にあるゆずの里ケーブルテレビへ。制作編成課課長として番組を制作。長年の取材で得た知識をもとに埼玉の魅力を掘り下げる“埼玉コンシェルジュ”。
あゆなびチャンネル(YouTube)

尾内あゆみ
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