第1回 落語家は京浜東北線以内

アクセントに悪戦苦闘した修業時代

 私こと立川談慶も長野は上田市(旧丸子町)の出身でして、どちらかというとコンクリートより土の匂いに囲まれたところで生育を受けました。その後、甲府の高校に通って、都内の大学に進学し、以降、福岡などでサラリーマン生活を送り、30年前の1991年、立川談志の18番目の弟子として入門しました。以来、都内、そしてこの20年間は埼玉県は川越を経て、現在はさいたま市に住まいを構えております。

 実は落語界には、「地方出身者には言葉のハンディがある」という不文律のような言い伝えがありました。先輩の談四楼師匠も群馬の出身で、修業時代の若い頃には言葉のアクセントやイントネーションで結構悩んだとも聞きました。

 談志も「京浜東北線の始発と終点のエリア内でないときついのかもな」と言っていたとのことでした。つまり北は大宮、南は磯子あたりのいわゆる「首都圏」出身でないと言葉の壁をクリアできないのだよ、と。

 談四楼師匠のような先駆者の苦悩のおかげでしょうか、地方出身者でも上手な古典落語をこなすという実績と相まって、さらには後に続く志の輔師匠の大ブレークもあり、以降、立川流でも、北海道出身の談吉、沖縄出身の笑二など、全国各地から落語家になりたいという夢を持つ若者が一挙に増加している次第です。

 かくいう私もアクセントに悪戦苦闘したものです(シャレみたいですね)。長野ですと「半袖」は、「は」にアクセントをつけて読みますが、都内ではフラットに読むものです。談志もアクセントには結構厳しく、終の棲家でもありました文京区根津の根津は「ね」のほうにアクセントを置く発音で、間違えたアクセントをしただけで烈火のごとく怒られたものでした。さすが言葉の達人です。

 二つ目のお披露目で結婚した時にカミさんの花嫁姿を見て褒めてくれたのですが、カミさんが「馬子にも衣装です」と謙遜すると、早速アクセントに注意が入りました。「孫ではないよ、馬子だよ(「ま」にアクセント)」と(無論私に対する言い方とは違って優しい言い方ではありましたが)。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

全編上田弁でしゃべってオリジナリティーを出す

 かような地方出身者の悩みですが、アクセント方面ではハンディですが、営業方面ではむしろメリットだらけでした。それは、お披露目などのイベント落語会が、都内出身の落語家ですと1回だけですが、地方出身の落語家は都内と出身地の2カ所で開催できるという点です。

 これについては東京出身の談志も「東京で落語家になったとか言ってもありきたりで珍しがってくれない。下手すりゃ『タダでチケット寄越せ』と言われちまうもんな」と苦笑いを浮かべていたものでした。

 そうなんです、「見方を変えてみる」と地方出身者が落語家になるということはメリットだらけでもあるのです。

 また落語のネタにしても「鼠穴」という地方出身者が江戸に出て来る噺では、私はこの兄弟を上田出身者として全編上田弁でしゃべらせてみたりとオリジナリティーを出しています。

 さて、このコーナーではこんな感じに「落語家から見た地方と都会」という視点から面白く切り込んでゆく所存です。引き続き、よろしくお願い致します。

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