第5回 越境入学させた教育熱心さ、南浦和の塾乱立に脈々と伝わる

学んで!埼玉

首都のベッドタウンと呼ばれながら、埼玉県には東京にのみ込まれない伝統と個性を持った学校が多くある。教育、社会運動を専門とし、各メディアで活躍するジャーナリスト・小林哲夫が「教育県」の素顔を探る。

越境入学者が集まる浦和のエリートコース

 1969年5月、埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)岸町1丁目から神奈川県鎌倉市腰越1丁目に転居した。わたしが小学校3年生のときである。このとき、わたしの親は近所の人に「あそこの家を離れるなんて、もったいないねえ」と言われている。その理由をわたしが理解するのは、ずいぶん後になってからだ。転居前、わたしが通っていたのは浦和市立高砂小学校である。このまま浦和に住んでいれば、岸中学校に通学することになっていた。

 この高砂小、岸中というコースは、1960年代半ばからエリートコースとみなされていた。県内屈指の進学校である県立浦和高校(浦高)、県立浦和第一女子高校(一女)に多くの入学者を出しているからだ。高砂小、岸中、浦高、東大へ進むというのが、浦和市内で教育熱心な親の理想像だったらしい。

 高砂小、岸中へ通うためには指定の学区に住んでいなければならない。そこで、市内の他学区、はたまた市外、県外から知人宅やアパートを借りるなどして住民票を移し、子どもを通わせる家族もあった。越境入学である。確かにわたしが高砂小に通っていたころ、川口市、大宮市、与野市から通ってくる同級生がいた(大宮市、与野市は現・さいたま市)。

 なるほど、「もったいない」と言われたのは、わたしたち家族がエリートコースに背を向けたからだったのか。エリートコースという意味は、わたしも子どもながらに理解できた。

 高砂小時代、わたしの成績は5段階評価で見事にオール3だった。ところが、鎌倉市立腰越小に転校して最初の通知票をみると4と5しかなかった。そのとき頭が良くなったことを喜んだが、凡才のわたしでも、すぐに気づく。レベルが高いところから低いところに移ったにすぎない。高砂小の生徒はみんな成績が良かったわけだ。

 この浦和市のエリートコースが大きな社会問題となるのが、1970年代半ばである。1976年、高砂小生徒1649人のうち415人、岸中1031人のうち411人が越境入学者となった。もう一つ、同じ浦和市に常盤小、常盤中というエリートコースがあり、両校への越境入学もそれぞれ1割以上、2割以上いた。この4校周辺は埼玉有数の文教地区とされていた。

 しかし、こうしたエリート校も越境入学で生徒が増えすぎれば当然、教室は満杯になる。本来の学区に住んでいる子どもの親からは教育レベルが下がるとクレームが届く。浦和市教育委員会は手を焼いてしまった。そこで市教委では通称「教育Gメン」が調査に乗り出し、住民票のみで在住実績がない人たちを学区外に追い出してしまった。ただ、学区内への転居者には文句を言えない。そのため、エリートコース周辺の不動産事情がとんでもないことになった。当時、こんな報道がなされている。

「国電浦和駅の周辺で、土地が異常に値上がりした。半年足らずのうちに2割も値上がった所もある。かつての土地ブーム時代も顔負けの急騰ぶりなのだ。貸家、貸間もすべてふさがった。その理由が「越境」のため、というのも奇異だった。浦和市教委が、昨年末から始めた越境生締め出し作戦で架空の住居では通らなくなったのが原因。ならば、家族ぐるみ学内に引っ越そうと、土地探し、家探しが始まった」(朝日新聞1977年3月18日)。

 越境入学バブルである。

南浦和駅周辺が有名塾の激戦区に

 2001年、自治体再編で浦和市はさいたま市となった。このころ、エリートコース神話は崩れつつあり、浦高、一女へのルートとしての高砂小、岸中ブランドのかつての輝きは失われた。越境入学の話もほとんど聞かない。

 これは公立の学校に対する不信感が広がったことが大きい。いじめ、荒れるなどの話に尾ひれがついてしまう。さしたる根拠はない。だが、保護者のアンチ公立のメンタリティーが私立中学入学志向をより強めることにつながった。埼玉県内から開成、巣鴨、海城、城北、武蔵、豊島岡女子学園、筑波大附属など大宮、浦和から1時間前後で通える進学校に通う生徒は少なくなかった。

 2021年、公立小中学校に通う生徒はどんどん減ってしまっている。越境入学を歓迎したいほどだ。その最大の理由は少子化である。公立中高一貫校が注目されたこともある。浦高、一女への進学実績が高い公立中学より、さいたま市立浦和中学・高校、さいたま市立大宮国際中等教育学校のほうが、高校受験を経ない分、いいのではないかという評価だ。

 また、県内にも栄東、開智、大宮開成、川越東(高校のみ)、本庄東、西武文理、星野、浦和明の星など東京大学合格実績がある私立の学校が増えた。かつてのブランド中学、岸中、常盤中にこだわる必要はなくなったわけだ。

 最近、岸中にほど近いJR南浦和駅周辺を歩いてみた。サピックス小学部(SAPIX)、日能研、四谷大塚、早稲田アカデミー、栄光ゼミナール、スクール21、臨海セミナー、個別教室のトライ、明光義塾、トーマスなどの看板が並ぶ。一つの駅に中学受験の有名塾、伝統塾がこれほどそろうのはめずらしい。

 かつて越境入学の中心地は、中学受験塾の展示会場となった。越境入学させた教育熱心さは、今日までしっかり受け継がれている。1960年代から半世紀以上経っても、「文教地区」という幻想を抱かせてしまう。教育は思っている以上に、地域社会の特性を作り上げてしまうものである。

執筆者プロフィール

小林哲夫(こばやし・てつお)

教育ジャーナリスト。教育、社会問題を総合誌などに執筆。新刊『平成・令和 学生たちの社会運動 SEALDs、民青、過激派、独自グループ』(光文社新書)のほか、『神童は大人になってどうなったのか』(朝日文庫)、『学校制服とは何か その歴史と思想』(朝日新書)、『大学とオリンピック 1912-2020 歴代代表の出身大学ランキング』(中公新書ラクレ)など著書多数。

小林哲夫
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