東京から90分という距離にありながら、自然豊かな埼玉県比企郡ときがわ町には自ら仕事を創りたいと考える若者たちが集まってくる。そんな町の「人」と「仕事」を巡る物語―—。
文=風間崇志
2018年3月に神奈川県海老名市からときがわ町に移住した橋本拓さんは、「晴耕雨読」という屋号で有機農家を営んでいる。「農業」または「半農半X」という働き方は、移住後のスタイルとして注目されることが多い。「移住」と「就農」の両方を実現した橋本さんに、ときがわ町での農業や暮らしの現状についてお聞きした。
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移住就農でも「分け隔てなく」がありがたかった
一般的に「新規就農」というと、一定のハードルがある。農地の所有者や周りの農業者には、新規就農には「本当にやれるのか?」「続けられるのか?」という心配があるからだ。新規就農希望者が移住者ともなればなおさらだろう。
一方で、人口減少に悩む地域にとっては、移住者は歓迎すべき存在である。新規就農者であり移住者でもあった橋本さんが就農するにあたって、地域内でそのような議論はあったのだろうか。
「私が知る限りでは、特に優遇もなく冷遇もありませんでした」と橋本さんは当時を振り返って語る。新規就農の認定を行うのはその地域の農業委員会である。新規就農にあたっては通常、農業研修の履歴や農地面積、従事日数、保有機械などにより、継続して農業ができるかなどという点を農業委員会が判断することになる。橋本さん個人の印象ではそれらの点が至って事務的に審査され、移住者だからと特別扱いされることはなかったという。
確かに「移住者」だからといってむやみにチヤホヤされるのは、その地域が好きで、地域に早く溶け込みたいと思っている移住者にとっては本意ではないだろう。だからといって当然、のけ者にされるのも望ましいことではない。
地元の人と同じように扱われることは、ある意味、「地域に受け入れられた」ということでもある。近所付き合いの面においても、最初は緊密な付き合いをしなくてはならないのではないかと心配だったというが、実際は必要以上に口を出されることもなく、だからといって冷たくされるわけでもなく、良い関係を築けているという。
有機農家「晴耕雨読」の橋本拓さんと奥さんの容子さん、お子さんの豊くん
このことは地域で暮らす上で何よりの安心感につながるだろう。橋本さんの次の言葉にもそれが表れている。
「それが逆に嬉しかったですね。変なプレッシャーもなく、地元の人と同じように、分け隔てなく扱われている気がしました。近所の人はどんな人が来るのか興味を抱いていた様子でしたが、移住者だからというよりは、引っ越してくる人に対して自然に抱くような興味だったように思います。私も近所に誰か引っ越してきたら、どんな人かなと気になりますので。農業という仕事柄、家の近くの畑で作業をしているので、ご近所さんと顔を合わせる機会が多く、自然にコミュニケーションが取れるというのも良かったと思います」
ただ何も苦労がなかったというわけではない。ときがわ町への移住で一番苦労したのが家探しだ。家だけでなく、家の近くに農地も借りる必要があったということもあるかもしれないが、近年、子育て世代を中心に移住希望者が増えており、地元の人でもなかなか良い物件を探すのは大変なのだという。
ときがわ町にはいろいろな可能性が感じられた
橋本さんが移住・就農先をときがわ町に決めたのには、そもそもどのような背景があったのだろうか。
橋本さんは埼玉県の大宮出身で、実家が農家だったわけではない。農業を志すようになったのは、サラリーマン時代に生活と仕事のギャップで悩んでいたのがきっかけだったという。仕事そのものは嫌いではなかったが、自宅と職場との往復に4時間以上かかり、家族と顔を合わせられるのは週末だけという生活が1年以上続いた。
「私も妻も食べることが大好きなんですが、仕事をしているときは時間に追われて、単なる『エネルギー補給』になっていました。それが嫌でたまらなかった。人間にとって食は一生のうちに何万回と繰り返す大切なもの。そんな大切な食という行為が疎かになっていることに疑問を感じて、文字どおり地(=土)に足のついた生活をしたいと考えるようになりました」
そんな折、ビジネス系雑誌で特集されていた「脱サラ農業」という記事に目が留まった。居ても立っても居られず、いろいろな職種の仕事が体験できる「仕事旅行」のWebサイトで見つけた千葉県の脱サラ農家に会いに行ったのだという。
「サラリーマンを辞めてイキイキと働いている姿を見て、『農家になりたい』『こんな生活がしたい』と思うようになりました。そこでお勧めされたこともあり、自分に農業の適性があるか知りたくて近所の農地を借りて家庭菜園を始めました」
野菜づくりは性に合ったようで、家庭菜園は5年続いた。それと並行して続けていたのが農家訪問だ。関東圏内の脱サラ農家を中心に、気になる農家を10軒以上訪ね歩いた。そんな中で出会ったのが魅力的な農家と有機農業だ。農家の明るさと有機農業でつくられた野菜のおいしさに魅せられ、自らも有機農業に傾倒していったという。そして「食べ物を自分でつくりたい」と、移住・就農を決意する。
神奈川県での農業研修とともに、移住先探しを始めた橋本さんがときがわ町のことを知ったのは、他県の移住イベントに参加したときの様子が雑誌「TURNS」に掲載されたことがきっかけだ。たまたま同じ号で、ときがわ町で農家民宿「楽屋(らくや)」を営んでいる金子勝彦さんが紹介されていたのだ。金子さん自身も移住者としてときがわ町で就農し、しかも移住相談にも乗ってくれるという。
「『これだ!』と思い、すぐ楽屋を訪れました。そうしたら探していた条件に合う理想的な環境だったんです。とにかく静かで、周りに若い有機農家がたくさんいるというところが決め手でした」
実は橋本さんは学生時代にも何度かときがわ町を訪れたことがあったらしい。およそ20年ぶりに目にした風景はその時とまるで変わっていなかったという。
「それが逆に魅力でした。静かで気候もよく、何より風景が素晴らしくて、夫婦の意見が一致しました。ときがわ町はベッドタウンにはなれなかった町。だけど自分たちにとってはいろんな可能性が感じられる町です」
楽しみながらも、続けられる経営を目指す
晴耕雨読が借り受けて耕作する農地は現在約4反(約1200坪)。就農時の3反からは増えているが、決して早いペースではない。就農して3年目で、「やっと土の特性がつかめてきた」と橋本さんは話す。というのも、地域によって気候が異なることに加えて、同じ地域内でも土地ごとに土の性質がまったく違うからだ。橋本さんも、就農前に1年間の農業研修を受けていたが、習ったことがそのまま使えないことに戸惑ったという。
「とにかく最初はやってみるしかありませんでした。1年目はかなり失敗しました。2年目も1年目の失敗を生かしながらいろいろ試してみましたが、まだ失敗が多かった。やっと3年目になって手応えを感じつつあります。ときがわ町には若い有機農家が多いので、相談できたり、畑を見学させてもらえたりするのはありがたいですね」
年々着実に経験を積みつつ、お客さんを増やしながら、耕作が行き届く範囲まで徐々に面積を増やす方針だ。
栽培している野菜は、年間で約50種類。季節に応じた多品目の野菜を無理なく栽培することを心掛けている。ニンジン、ジャガイモ、カブ、ダイコン、ネギなどの日常的に使う野菜でも、甘み、苦み、すっぱさ、歯ごたえなどの個性を大事に育てるのがこだわりだ。お客さんからの要望もうまく取り入れており、今年はオクラがつくればつくっただけ売れるほど好評だったという。
もう一つのこだわりは、自分が食べておいしいと思ったり、つくるのが楽しかったりする野菜をつくること。雨が降っている日でも畑に出ることがあるほど「農業が好き」という橋本さんらしいこだわりだ。
「全体が緑色をした『みどりの』(ダイコン)や『カーボロネロ』(黒キャベツ)、『ビキーニョトウガラシ』(小さい丸型のトウガラシ)が特にお気に入りです。味もおいしいし、つくっていて楽しいんですよ」
晴耕雨読の旬の野菜セット。お取り寄せも可能
3年目は歩留まりも良くなり収穫量も増え、販路も広がってきている。新型コロナウイルスの影響で飲食店向けは伸び悩んでいるが、自主開催のイベントやマルシェへの出店などを通じて、定期的に購入してくれる個人のお客さんが増えているという。売上の約半分は個人向けの販売が占めるほか、主な販売先は町内の有機農家の直売所「ときのこや」、近隣の飲食店などだ。野菜のほかにもブルーベリー、カキ、ニンジン、イチゴなどのジャム加工も手掛けている。
農業収入は伸びた。とはいえ、それだけで生計を立てていくにはまだ十分とはいえないのが現状だ。現在は、国による就農支援のための給付制度を活用して農業収入を補いながら、つくった野菜を売るだけでなく、畑をつかった体験サービスなどを充実させて、早期に農業や畑に関係する収入で一本立ちすることを目指している。支援制度は就農から5年間は適用されることになっているが、実績が事業計画とあまりにかけ離れていれば途中で打ち切られる可能性もあるからだ。野菜づくりを楽しむ一方で、事業継続性との両立を考えることも忘れてはいない。
「農地は耕作しないとすぐ荒れてしまう。畑の維持は、ときがわ町の里山の風景の維持につながると思います。自分にとっても町にとっても、農地の維持は大きな課題ですね」
やっぱり自分の家のご飯が一番おいしい
晴耕雨読では、畑を単なる野菜の生産場所ではなく、一つの「場」ととらえ、「藍染め体験」や「畑でヨガ」、「畑で古本市」など、畑を使って体験を提供するイベントにも力を入れている。「とにかく畑を体験してほしい」と橋本さんは話す。
すべてを自分たちだけでやっているわけではない。農家仲間はもちろん、販売先の飲食店や食事のために訪れた先のお店などで積極的に人と交流を持つことで、いろいろな「好き」や「得意」を持った人とのつながりができた。そうした人とのつながりが、「畑」の可能性を試すいろいろなイベントの企画につながっている。
「畑の魅力は、単なる野菜生産の場所というだけではありません。何かがそこから生まれてくる場としての魅力があります。大げさにいうと、畑の野菜は人のお腹を満たしますが、里山の景観や植物の香りを含んだ空気は人の心を癒します。それらをひっくるめた『畑』のいろんな魅力を楽しんでもらいたいと思っているんです。本が読める場所の提供やカフェのようなこともやってみたいですね」
藍染め体験のイベントで藍を収穫
畑で開催された古本市
最近では、プラスチックフリーの農業や生活への想いから土に返せるストローを広めたいと、自分で育てたライ麦を使って「麦ストロー」の製作も始めた。橋本さんがやっていることは、「食」と「大地(=畑)」と「人」をつなぎ直す試みであるように思える。
この町で暮らす何よりの喜びは、「食べ物が何でもおいしいこと」と橋本さんと奥さんの容子さんは口をそろえる。食べることは夫婦共通の趣味でもある。自宅の畑で採れる野菜はもちろん、ときがわ町にはうどんや豆腐、大好物の和菓子など、決して贅沢品ではないがおいしい食べ物が身近にある。
「旅行から帰ってくると、やっぱり自分の家のご飯が一番おいしいんです」
容子さんが最後に口にしたその言葉が印象的だった。この言葉が物語る、毎日の暮らしの充実感こそが、一番の「贅沢」といえるのではないだろうか。
【晴耕雨読】
:https://seikoh-udoku.com/
: https://www.instagram.com/seikohudoku2019/
執筆者プロフィール
風間崇志(かざま・たかし)
1981年生まれ、埼玉県草加市出身。妻、一姫二太郎の4人家族。2006年、まちづくりを志し、越谷市役所に入庁。18年に比企起業塾の第2期を受講し、20年に個人事業主として起業。屋号は「まなびしごとLAB」。埼玉県比企郡や坂戸市を中心に、行政や中小企業のお助けマンとして、企業支援や地域活性化、地域教育、関係人口づくり、ローカルメディアづくりなどに取り組む。共著に『地域でしごと まちづくり試論 ときがわカンパニー物語』(まつやま書房)がある。
:https://www.manabi-shigotolab.com/