首都のベッドタウンと呼ばれながら、埼玉県には東京にのみ込まれない伝統と個性を持った学校が多くある。教育、社会運動を専門とし、各メディアで活躍するジャーナリストが「教育県」の素顔を探る。
文=小林哲夫( 教育ジャーナリスト)
野球か、サッカーか
2017年、花咲徳栄高校の野球部が夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)で全国制覇した。このときの主将が刑事事件を起こしたという報道があった。たいへん残念なできごとである。罪をしっかり悔い改めて更生してほしい。
さて、花咲徳栄が埼玉県で初めて夏の甲子園で優勝、というのは意外だった。県内では浦和学院、春日部共栄、聖望学園などの野球強豪校が甲子園で勝ち進めていて、すでに全国制覇校が何校か出ていると思っていた。なお、これまで準優勝したのが県立熊谷(1951年)、春日部共栄(1993年)。春の選抜大会では県立大宮工業(1968年)、浦和学院(2013年)が優勝している。
埼玉では野球はそれほど盛んではないのか。やはり野球よりもサッカーなのだろうか。高校サッカーの歴史をひもとくとたしかに華々しい。全国高等学校サッカー選手権大会の優勝校は次のとおり。
- 県立浦和高校 1951年、54年、55年
- 県立浦和西高校 1956年
- 浦和市立高校(現・さいたま市立浦和高校) 1959年、60年、64年、72年
- 浦和市立南高校(現・さいたま市立浦和南高校) 1969年、75年、76年
- 武南高校 1981年
県内には少年サッカーチームがいくつもあり、そこで切磋琢磨して優れた選手が強豪校に集まったという背景があった。だが、2021年時点からふり返ると、40年も優勝から遠ざかっており、サッカー王国と命名するにはさびしい。さまざまな理由が考えられる。
①県内の優秀な選手が高校ではなくJリーグのユースチームに入った。あるいは県外のサッカー強豪校に進んだ。②県内の高校はどこもそこそこサッカーが強化されたことで、優れた選手は一校に集まらず分散してしまった、などである。
全国に名を馳せた浦和一女
ほかの競技をみてみよう。戦後まもないころ、バスケットボール女子は県立浦和第一女子高校が圧倒的に強かった。1948~50年、54~56年、58~59年と8回も日本一になっており、浦和一女は全国にその名をとどろかせていた。1950年、同校バスケ部員が学校新聞でこう記している。
「私達の練習が充分出来る様に夜は二四時頃まで、そして朝は五時にはおきて私達のいっさいを引き受けてくださったり又やさし励まして下さったTさん、Kさんのお友達、本当にこの様な方々が私達をこれ程まで応援して下さっているんだ、私達は練習負けてはいけない、倒れたって優勝しなければと思ったのです」(「一女新聞」1950年12月22日、原文ママ)
部活動の練習で朝は5時台から、夜は11時台まで練習したと読める。私立のスポーツ強豪校でも、いまはこんなムチャぶりをしない。これではブラック部活だ。あの名門「一女」である。いったい、いつ勉強したのだろう。
バレーボール男子は県立深谷高校が1983年、99年、2001年、05年に全国制覇している。 バレーボール女子は県立久喜高校が1953年、59年、67年に日本一に輝いた。
ボート男子は県立浦和商業高校が1953年、54年、57年、58年、60年、63年の6回優勝している。ボート女子は県立浦和第一女子高校が1955年,57年、58年、60年の4回、全国を制した。浦和一女のボートが強かったのは、同校のバスケットボール黄金期と重なる。お互い意識して猛練習したのかと推測してしまう。
近年、埼玉県内の高校で気を吐いているのが1972年に開学した埼玉栄高校である。団体戦において相撲は92年からインターハイ優勝10回を数え、柔道女子では2007年以降5回日本一となった。ゴルフでは男子2回、女子3回全国制覇している。また、花咲徳栄はレスリング男子で2回高校チャンピオンになった。
しかし、競技者人口が多く全国中継が行われるメジャー競技で、野球の大阪桐蔭、サッカーの青森山田、ラグビーの桐蔭学園(神奈川)や東福岡(福岡)のような全国制覇あたりまえの絶対王者が、今の埼玉にはいない。
さびしい。
高校日本一のチームが作れるよう、県内のスポーツ強豪校は奮起してほしい。それによって埼玉をうんとアピールしてほしい。
小林哲夫(こばやし・てつお)
教育ジャーナリスト。教育、社会問題を総合誌などに執筆。新刊『平成・令和 学生たちの社会運動 SEALDs、民青、過激派、独自グループ』(光文社新書)のほか、『神童は大人になってどうなったのか』(朝日文庫)、『学校制服とは何か その歴史と思想』(朝日新書)、『大学とオリンピック 1912-2020 歴代代表の出身大学ランキング』(中公新書ラクレ)など著書多数。