思わず微笑んでしまうリリカルな画風で大人気の蟹江杏の世界観を、作品とエッセイでお届けします。
コロナ禍での今年の受験生達を思うとさぞ大変だったろうと、
夕方のニュースを見ながら、ふと私が受験生だった時を思い出しました。
我が国では学歴は生きていくために大切なスペックである、と、
“偏差値世代”だった私達は擦り込まれていたので、私も例に漏れず、
中学3年生になると、「よし、この1年がやってきたぞ」と身構えたものです。
自分で言うヤツは大抵、ウソでしょ、と思われそうですが、
私は小学校から勉強はよくできたほうで、
受験と聞けば、私の良いところを見せる機会がついにやってきたのだと、
嫌がるどころかむしろ武者震いしたほどでした。
二十数年前のこの時期、私は軽々と某大学の附属高校に合格しました。
晴れて女子高生になった私。
これまた、自分で言うヤツはウソだろ、と思われそうですが、
入学するとすぐに、数名の男子生徒から交際を申し込まれたりしました。
いや、モテたんです、ホント。
「女子高生生活って楽しそうじゃん」と、
スカートを腰で巻き上げて、原宿でクレープも食べたんです、ホントに!
でもそれも束の間、夏休み前には、蟹江杏は変人だ、変わりものだ、と噂になり、
私の華の女子高生生活ははやくも雲行きが怪しくなってきました。
もともと右向けと言われたら、この際左向こうっていう性格の私が、
女子集団に入って無理してはしゃいで、
ガサツなくせに髪の毛セットするために早起きしたり、
興味もないファッション雑誌をチェックするのですからそれは大変。
「おい、君にそんな生活、続くわけないだろ」
と、あの時の私に今会えたら言ってやりたいけど、その時はもちろん気がつかず。
でも、周囲が私を変わり者扱いする理由は実は他にもありました。
決して素行が悪いわけでもないのに、
毎朝、校門で行われる服装チェックを絶対に受けなかったからです。
他の生徒達は要領良く、門の前に来たら髪の毛を結って、
スカートも丈を直して検査を受けていました。
私もそうする事は簡単にできました。
でも、どうしても、身体検査を受けること自体が嫌でした。
今となっては、なぜ、検査が嫌なのか、
気持ちを言葉にして先生にきちんと伝えれば良かったなと思いますが、
当時の私にはその選択肢はありませんでした。
なんだかそれが私にとっては、とてつもない屈辱だと感じていました。
初めは、うまくすり抜けて、教師に身体チェックされることなく教室に入っていましたが、
そのうちに蟹江はどうやらずっと検査を受けていないと問題になりました。
それでも頑なに検査を受けずにいると、
毎朝、校内放送で「1年●組の蟹江杏、蟹江! 今すぐ、校門に戻りなさい」と呼ばれる始末。
私の独りストライキは、全校生徒に知られることとなり、
「あいつ変わり者だよな、めんどくさそう」と一気に変人女子高生となったわけです。
「あんず、チェックなんてすぐ終わるし、
こんな恥ずかしい放送されるくらいなら、受けちゃった方が楽ちんだよ」
なんてアドバイスしてくれる友人もいましたが、
私は検査を拒否し続けました。
そんなある朝、いつものように教室の席で、
自分の名前が連呼される放送を素知らぬ顔で聞いていると、
女性の体育教師がすごい形相でやってきました。
出来事は一瞬でした。
バチン!!
と大きな音が耳元でしました。
それは、左ほっぺたを身体が吹っ飛ぶほど平手打ちされた音でした。
周りにいたクラスメイト達も唖然としていましたが、一番ビックリしたのは私自身です。
親にも一度だって叩かれたことのない私が、人生で初めて人に叩かれた瞬間でした。
その時、
「あ、私、この学校無理、中退しよ」
とすんなり思いました。
家に帰って両親に一部始終を話すと、
この親にしてこの子ありとでもいうのでしょうか、
母は「あんずが無理だと思うのなら、やめれば」と、あっさり。
父は、何やら筆と墨汁と巻物を持ち出して、
「退学届けを書いてやる!! 戦いだー」と目を爛々とさせました。
こうして、私は、せっかく受験して受かった高校をさっさと退学して、
ニートになったわけです。
その後、数週間、ダラダラと過ごしていましたが、
突然思うのでした。
「ん? このままだと私は、小学校からの夢だった絵描きさんになれるのだろうか……。
もしも絵描きさんになれなかった場合、どこかに就職しなきゃいけないだろうから、
中卒だと、かなり苦労しちゃうのかもしれない。
やっぱ、将来を考えたら高校くらいは出た方がいいよね〜」
さあ、そこで、一念発起して、私は本当に自分に合う校風の学校を、
高校案内の本や雑誌片手に調べはじめました。
そして出会ったのが、結果的に我が愛する母校となる
埼玉の飯能市にある自由の森学園高校です。
私は、みんなより1年遅れで、もう一度最初から高校1年生をやり直すことにしました。
自由の森学園は私の服装を誰もあーだこーだ言いません。
女子トイレにみんなで行かなくても空気読めないヤツとも言われないし、
一人でランチしても恥ずかしくありません。
いくらでも好きなお絵かきに没頭もできました。
生徒はそれぞれ楽しく学んでいました。
こうして私は遠回りしてやっと高校生になりました。
と……その後の埼玉での変人女子高生生活については、
また、今度じっくりお話ししましょう。
今年新しい学校に晴れて合格したみなさん、
決して、無理はせず、じっくり進んでください。
引き返すことだって時には悪くありません。
そして、どうか、素敵な学生生活がおくれますように。
人生の中で学生でいられる時間は特別ですから!
タイトル:「赤い靴を歌おう」
サイズ:190×140mm
シート価格(税込):27,500円
額装価格(税込):33,500円
※別途、送料がかかります。
販売数量:8枚限定
お届けの目安:約3カ月
蟹江 杏(かにえ・あんず)
画家。東京生まれ、埼玉県飯能市の「自由の森学園」を卒業。「NPO法人3.11こども文庫」理事長。ロンドンにて版画を学ぶ。美術館や全国の有名百貨店など、国内外で多数の展覧会を開催。新宿区・練馬区・日野市をはじめ各地の都市型アートイベントにおいて、こどもアートプログラムのプロデュースを手掛ける。東日本大震災以降は、「NPO法人3.11こども文庫」理事長として、被災地の子ども達に絵本や画材を届けたり、福島県相馬市に絵本専門の文庫「にじ文庫」を設立するなどの活動を行う。また、2020年から「SDGs JAPAN」と連携し、アートやアーティストがどのようにSDGsに貢献できるかを、様々な分野のアーティストとともに模索、牽引していく。