思わず微笑んでしまうリリカルな画風で大人気の蟹江杏の世界観を、作品とエッセイでお届けします。
20代の頃はよく朝方までお酒を飲んで
始発で帰るなんて事はしょっちゅうで、
その日も何軒も友人達とハシゴした後、
ご機嫌ヘロヘロになって帰宅した。
玄関でハイヒールを脱ぎ捨てて家へ上がり
寝室にあるクローゼットを開けて上着を乱暴にハンガーにかけて、
化粧すら落とさず、そのままベッドにバタンキューである。
嗚呼青春、
私の楽しい一人暮らし。
それでも翌朝は早起きの必要があり、
まだぐらぐらと地面が揺れている状態にもかかわらず
慌てて身支度を済ませて
画廊に向かわなければならない。
出掛けに靴を履こうとした時
玄関のドアに、
昨晩脱ぎ捨てたハイヒールがはさまっていて
半開きのままになっていることに気がついた。
いくら酔っ払って帰ってきたとはいえ、無用心である。
と、思いつつ、慌ててドアをしめ鍵をかけて、仕事に向かった。
言ってしまえば、そんなことは酒飲みの私にとっては、
なんてことない日常で、その後その事はすっかり忘れていた。
まさかあの日のあの行動があんな事態を引き起こすなんて、
その時はつゆ知らず。
ある日、ヤツらは突然現れた。
珍しく家で過ごす休日。
確か私はソファーで本を読んだり何か書き物をしていたはずだ。
音楽は聴いていなかった。
シンとした部屋にふいに、
「クーークーー」とかすかに誰かのすすり泣くような声が聞こえた気がした。
あたりを見渡したがそこにはもちろん誰もいない。
気のせいだろうとまた手元の文字に集中しようとしたが、
なんだか気になって仕方がない。嫌な予感しかしない。
もう一度耳をすます。
クーー、クークーーーー。
今度ははっきり聞こえてしまった……。
隣の寝室だ。
私はもともと幽霊とか、宇宙人にさらわれるとか、あんまり信じていないけど、
いざこんな状況におかれるとさすがにザワザワと産毛が逆立ってきた。
誰もいるはずがない、と自分に言い聞かせつつ
ソファーからそっと立ち上がり
まずは優しく穏やかな声で隣の部屋にたずねてみた。
「どちらさまですか?」
返事はない。
でも、念のためもう一度、
「だれかいらっしゃるんですか?」
途端、ガタガタガリガリとただ事ではない物音がした。
「いやだ! だれなの!? でてこい!」
私は中腰になり机の上にあったフリーペーパーを丸めて戦闘態勢をとった。
窮地に立たされると逃げるより戦いを挑むタイプである事は
この時はじめて自己認識したが、内心は震え上がっている。
強盗か、それとも本当に宇宙人が私をさらいにきたのか……。
しばらくお尻を突き出した恰好で身構えていると、
ガリガリという音に混ざって
「ミャーミャー」と聞き覚えのある声が聞こえた。
私は胸を撫で下ろした。
あ、子猫だ。
隣の部屋に猫がいる。
そうとわかれば、慌てて寝室に向かった。
が、はて……なぜ、子猫が私の部屋にいるのだろう?
部屋に入ると、鳴き声はさらに激しくなり、
どうやらそれはクローゼットの中から聴こえてくるようだ。
恐る恐るクローゼットの扉をあけてみる。
薄暗い奥の方、
皺くちゃになったTシャツのうえで爛々と光る目がこちらを睨みつけている。
「わ!」
思わず声をあげた。
その途端、親猫がシャーと牙をむいて威嚇してきた。
観音扉を全開にすると全貌が明らかになった。
野良猫が私のクローゼットの中で子どもを産んでいたのだ。
しかも3匹。
もうお分かりだろう……あの時。
あのベロベロになって朝帰りした時の私の様子を遡って思い出していただきたい。
ハイヒールが引っかかって隙間ができた玄関。
開けっ放しのままにして、
寝てしまったクローゼット……。
私が酔っ払って爆睡している間に、
産気づいてこの家に入ってきたメス猫……。
そのあとは言うまでもない。
野良猫臭が部屋中に漂い、
恐怖との闘いのすえひとり途方にくれた私。
猫親子のベッドになっているのは
買ったばかりのお気に入りのTシャツ。
はい、親猫と3匹の子猫たちは
猫好きの親戚にひきわたしました。
全てを棚にあげて、批判を受けることを怖がらずあえて言う。
私は、あの日から、完全なる犬派になりました。
タイトル:「猫袋」
サイズ:175×120mm
シート価格(税込):17,600円
額装価格(税込):23,000円
※別途、送料がかかります。
販売枚数:10枚限定
お届けの目安:約3カ月
蟹江 杏(かにえ・あんず)
画家。東京生まれ、埼玉県飯能市の「自由の森学園」を卒業。「NPO法人3.11こども文庫」理事長。ロンドンにて版画を学ぶ。美術館や全国の有名百貨店など、国内外で多数の展覧会を開催。新宿区・練馬区・日野市をはじめ各地の都市型アートイベントにおいて、こどもアートプログラムのプロデュースを手掛ける。東日本大震災以降は、「NPO法人3.11こども文庫」理事長として、被災地の子ども達に絵本や画材を届けたり、福島県相馬市に絵本専門の文庫「にじ文庫」を設立するなどの活動を行う。また、2020年から「SDGs JAPAN」と連携し、アートやアーティストがどのようにSDGsに貢献できるかを、様々な分野のアーティストとともに模索、牽引している。