蟹江杏アトリエ日記vol.7 奇妙な美術教室#3

あんずの花里物語

思わず微笑んでしまうリリカルな画風で大人気の蟹江杏の世界観を、作品とエッセイでお届けします。

「鳥と時間」
 

前回のお話の続きです。
ツッコミどころ満載の松本進美術教室の全貌が少しずつ見えてきたのは、
母が近所から収集した噂話からでした。

噂ですからどれが本当で嘘なのか半信半疑でしたが、
私が古びた看板で知ったフローレンス美術教室は、
おっさんの離婚した奥様がやっていた、という事がわかりました。

それはたいそう人気のお教室だったとか。
絵の具は三原色のみを使い、モチーフは根本から描き、
絵が紙からはみ出たら別の紙を繋ぎ合わせて描く方法を行う教室でした。

彼女は離婚して息子3人を連れて家を出た後、
青山あたりで、美術教室を大成功させました。
大きなビルを建て、本も沢山出している有名な美術教育者になった、という話でした。

三原色、苗字が松本・・・ここまで読んで、美術教育にちょっと詳しい方なら、
もう、おっさんの前の奥さんが、誰なのか、分かったんじゃないでしょうか。
彼女は日本の幼児美術教育において、現在もある重要な位置にいる人物ですから。

おっさんは別れた奥様の事を「あいつは金に身を売ったんだ」と言っていましたが、
ことある毎に仲が良かった頃の写真を見せては、昔話をしていましたし、
まだ家族を愛しているようでした。
おっさんは変わり者すぎて家族に捨てられたんだ、と子どもながらに思いました。

当の松本進美術教室は、相変わらずでした。
奇妙な部屋で絵を描き、粘土で立体物を沢山作らされました。
難易度は高く、子どもだからといって容赦なかった記憶があります。

エロ本を渡されて裸体のデッサンをした事もありました。
けれど、どんなモチーフもおっさんが描くと全て美しい芸術になりました。
彼はなんでも鉛筆一本で写真のようにさらりと描けるのに、
真剣に幼稚園児みたいな絵を描くこともありました。

それから面白い小説やありとあらゆる画集や写真集を見せてくれました。
小学生の私につげ義春の漫画を読ませて、「つげは絵が上手いだろう」ともいいました。
漫画には男女の裸や、グロテスクなシーンが沢山ありましたが、
私はその独特で難解なつげ義春の世界に夢中になりました。

おっさんは小汚いくせに自分を天才のイケメンだと思っていたし、
馬鹿みたいにナルシストでした。
けれど、他人に褒められると何故か機嫌が悪くなりました。

常に全てがアンビバレンスで不安定。
好き勝手に作られたその家の趣とは逆に
自由なイメージを彼自身から感じる事は稀でした。
自意識の紐でグルグル巻きになったアーティストそのものです。
私はいつしかベレー帽をかぶって立派な髭のある人だけが
芸術家だとは思わなくなりました。

彼は私達に会える事を楽しみにしているようでしたし、
私達も日曜日を楽しみにしていました。
ある時、父の日と教室の日が重なったので、
Rちゃんと私はケーキを持って出かけました。

「父の日だからケーキを持ってきた」と伝えると、
彼はにこりともせず、慌てて、自分の部屋に行って、
真新しいポロシャツに着替えて戻ってきました。
白いシャツに煤だらけの顔だけが浮いて、
いつもの小汚いランニングの方が似合うな、と思いました。

おっさんは「今日はパーティーだ」と言いました。
彼は料理が上手でしたが、そのどれも、家庭で食べるような味ではなく、
また、家族で行くレストランの味とも違いました。
羊の肉のスパイス漬けも、異国の香りがするソースも癖になる味で、
インドに住んでいた時に習ったんだと自慢げでした。
父の日のパーティーもそんな変わったランチでした。

その頃だったでしょうか。
彼は背中合わせに座る等身大の二人の少女像を作りました。
選ぶモデルは動物や大人の女性ばかりだったのに珍しい事でした。
展覧会に出すのだ、とうれしそうで、珍しくニコニコと笑っていました。

出来上がった像は背が高い少女と低い少女でした。
高い方は明らかにRちゃんです。
私は自分はこんなに足が短いのかと、ガッカリしましたが、
自分達の像ができたことは満更でもありませんでした。
その像は箱根の美術館に展示されたと聞きました。

この奇妙な絵画教室は私が中学1年生の時に、
自然に廃業しました。
通わなくなったのは、私が思春期を迎えたことと、
おっさんが統合失調症を発症したことが理由です。

彼はお金もないのに、浴びるように酒を飲み、
庭に防犯カメラをつけて「誰かに狙われている」と言ったり、
夜中に我が家に何度も電話をかけてきて、
「俺の言うことを全て聞いていれば、杏をすごい芸術家にしてやる」
と、いきまいたり、完全に狂っていました。
そうなると、壁に埋め込まれた裸婦の彫刻もいよいよ恐ろしく見えてきたものです。

それでも、連絡は取り続けていましたし、
お正月には母が必ずお節のお重を届けたり、
展覧会があれば出かけたりと、家族ぐるみで交流していました。
時には父にお金を借りにきていた事もあったようです。

ある日、おっさんの別れた奥様から手紙が届きました。
「いつも松本がお世話になっていると聞いています。
彼が絵を教えるなんてびっくりしています。息子も貴女に会いたがっています。
一度、私の美術教室に遊びに来ませんか」という様な内容でした。

元奥様とおっさんが連絡をとっていた事に驚きました。
ましてや私の話をしていた事も意外です。
都会の大きなビルの綺麗な教室の写真が載ったパンフレットも同封されていました。
母は、「せっかくだから行ってきたら?」と彼女に会う事を勧めました。
私も内心とても興味がありました。
幼い頃からの憧れのフローレンス美術教室の創立者から直々にお誘いを受けたのです。

けれど、私は彼女と一度も会うことはありませんでした。
13歳の私は、おっさんに、元奥様から手紙が来たことすら話すことが出来ず、
まして秘密で会いに行ってしまったら、おっさんが傷つくのではないかと、
勝手に思い込んでいたのです。

今でも時々、あの時彼女に会いに行っていたらどうだっただろうと思うことがあります。
今思えば、きっとおっさんは大切な家族を
私に合わせたかったのかもしれないな、と思います。

学校を卒業して、
私はいよいよ美術の道を本格的に進む事を決めました。
初めての個展には、
相変わらずイカれたおっさんが見に来てくれて、珍しく褒めてくれました。
しかも小さな絵を購入してくれたのにはひっくり返りそうになりました。

松本進美術教室。
あの奇妙な家が違法建築で、取り壊されるという事を知ったのはその後でした。
父は「家自体が作品なのだから残して欲しい」と、
役所に嘆願書まで出しましたが、結局、作品ごと全て取り壊される事になりました。

一部のどうしても取っておきたい作品は私が預かる事になりました。
おっさんは生活保護受給者となりアパートに引っ越しました。
ガッカリして落ち込むのではと思い心配しましたが、
統合失調症の薬で毎日ボーッとしているらしく呑気に
「部屋があったかいし、トラックの運転しなくてもお金もらえるから、
こりゃいいや」と言いました。

かつての尖ったアーティストの面影はこの頃にはありませんでした。
それでもおっさんは、アパートに小さな陶芸の電気釜を持ち込んで、
餃子やカボチャを粘土で作っていました。
それに何の意味があったかはわかりません。
最後に出展した展覧会でも陶器でできた餃子を二つお皿に並べただけでした。

こうしておっさんはアパートで孤独死しました。
しばらく連絡がないと心配した父が役所に連絡して見つかりました。
死後だいぶ経っていたそうです。

父が私に
「芸術に取り憑かれたら、こうなる事を覚悟する必要がある。
杏も独りで描け。孤独死を怖がるな」
と言った言葉が忘れられません。

母がおっさんの別れた奥様と息子さんに連絡しました。
預かった作品も返却しなくてはならなかったからです。
「松本の作品については全て杏さんに差し上げます」という事でした。
大きな作品ばかり、しかも沢山あるし、正直置き場に困るんだけど・・・と
思いつつお受けすることにしました。
私こそが、松本進の最初で最後の世界でたった二人の生徒の一人だ、
という気持ちがどこか心の隅に芽生えていたからでした。

無名彫刻家松本進の作品は
今でも私の自宅やアトリエの作業机の横、さらには軽井沢の
庭にまでところ狭しと置かれています。
あの時見たお仕置き小屋の象達もいまだに、私を逆さから見つめています。

奇妙な美術教室のお話は、これでおしまいですが、
おっさんの作品はいつまでもふてぶてしく私の側に鎮座していますから、
いつか皆さまにもご紹介できる機会があるかもしれません。

「鳥と時間」

タイトル:「鳥と時間」
サイズ:520×605mm
シート価格(税込):280,000円
額装価格(税込):320,000円

※別途、送料がかかります。
販売数量: 3枚限定
お届けの目安:約3カ月



蟹江杏コレクション

執筆者プロフィール

蟹江 杏(かにえ・あんず)

画家。東京生まれ、埼玉県飯能市の「自由の森学園」を卒業。「NPO法人3.11こども文庫」理事長。ロンドンにて版画を学ぶ。美術館や全国の有名百貨店など、国内外で多数の展覧会を開催。新宿区・練馬区・日野市をはじめ各地の都市型アートイベントにおいて、こどもアートプログラムのプロデュースを手掛ける。東日本大震災以降は、「NPO法人3.11こども文庫」理事長として、被災地の子ども達に絵本や画材を届けたり、福島県相馬市に絵本専門の文庫「にじ文庫」を設立するなどの活動を行う。また、2020年から「SDGs JAPAN」と連携し、アートやアーティストがどのようにSDGsに貢献できるかを、様々な分野のアーティストとともに模索、牽引していく。

https://www.atelieranz.jp

蟹江 杏
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