【特別寄稿】地域創生は地域の高校から~高校は大学や専門学校への通過点ではない! 寺脇 研(元文部科学省官僚)

かつて高校生たちがこんな宣言を綴った地域がありました。
「私たちは故郷を捨てない(私たちの)花が実をつける時 どこかで誰かを助けていたい 故郷を愛し、誇るために 自らを厳しく鍛え 思いやりの心を持ち いつか社会を支える力になる」(編集部一部抜粋・補足)
長崎県五島列島の高校で生徒たちが自発的に作ったこの宣言文は、かつて「村を捨てる教育」と批判された日本の教育界に一石を投じるものだと思います。地域の教育は村を捨てて出て行く者を育てるものではない。地域の高校は専門学校や大学への「通路」ではない! 日本の最重要課題である「地域創生」は地域の高校の魅力化、活性化から‼
日本の教育を霞が関から、そこを出てからはより高い視点から支える寺脇研さんのオピニオンをお読みください。

20年後、約半分の自治体が「消滅」する

 2014年、民間の有識者による「日本創成会議」の分科会から、2040年には全国の市区町村の約半分に当たる896自治体が人口減によって消えていくというショッキングな「消滅可能性都市」問題が提起され、政府も地方創生をうたって担当大臣を設ける事態となった。とはいえ、もともと都会住民には響かない上に、めざましい具体的方策もないまま、いつの間にか国民の関心は薄れるばかりだ。

 これを抜本的に再検討し、20年後に迫った「消滅」を回避するのは、われわれの社会にとって何よりの急務だと思う。たしかに、首都圏、中京圏、関西圏の人々には「消滅可能性」など他人事に思えるかもしれない。しかし、それらの都会だけが栄えて、面積的には国土の大部分を占める過疎地が「消滅」していいものだろうか。

 北海道から東北にかけては、札幌周辺や東北・北海道新幹線沿線を除くとほとんど全部が「消滅」してしまうという厳しい予測が現実となったとき、いくら自分の住む都市が栄えていたとしても、そんな惨憺たる国土の状況では、心安まるはずもあるまい。無人となった地帯は荒れ果て、無残な姿をわたしたちの目の前に晒すに違いない。東日本大震災の際の原発事故で土地放棄を余儀なくされた福島原発近くの町村が、10年後の今どのような状態になっているかを映像で見れば、おわかりだろう。

 リアルな政治感覚で言えば、太平洋側も日本海側も北日本の海岸線のほぼ全体が無人地帯となったとき、まともな沿岸警備、いや国土防衛が可能だろうか。小さな無人島である尖閣諸島を守るために、どれだけの費用をかけているか考えてみるといい。治安や安全保障の面で大きな不安を抱えることになる。

 これは、なんとしても阻止する必要がある。そしてそれは、企業誘致や補助金ばらまきのような昭和の時代からやってきた手法では到底無理だし、「ふるさと納税」などの新しい施策も十分だとは言えない。

 そこへ、思わぬ好機がやってきている。昨年から猛威を振るう新型コロナウイルスによる「東京離れ」だ。今年に入ってからの状況は、さらに拍車をかけそうだ。東京だけではない。首都圏、関西圏は年明けの緊急事態宣言発令からずっと店舗の営業は20時まで。解除になっても飲食店は21時までの窮屈な状態が続いてきた。さらに、変異型ウイルスや「リバウンド」により感染者は再び大幅に増加し、首都圏、関西圏に三度目の緊急事態宣言が出る有様だ。

 それに引き替え、地方では感染者も少なく、おおむね普段通りの生活を安心して送れている。一部クラスターが生じても、それは県庁所在地周辺であり、「消滅」するとされているような地域は極めて安全だ。コロナに怯えることなく、のびのびと暮らせるに違いない。「東京離れ」「大都市離れ」で地方移住が増えるのは、「消滅」が広がるのを回避するためには心強い材料である。

「高校魅力化プロジェクト」で町の人口が増加

 地方移住の流れを加速させるためには、家族生活の中で大きな要素を占める教育環境の問題に意を払う必要がある。若年家族移住が増えているので有名な北海道上士幌町へ伺って、町の運営するこども園と学童保育を見学し、なるほど、これなら安心して移住できると感心した。ここには小中学校はもちろん、上士幌高校という道立高校もある。こども園から高校卒業まで、地域の温かい眼に見守られ育つわけだ。

上士幌町の旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁

 まずは、地域から学校、特に高校を無くさないことだ。小中高等学校を通して地元で学び、自分たちの故郷の良さを実感する。その後、高等教育機関進学で外へ出たとしても、それは、力をつけ経験を積んだ後に帰ってくる気持ちを作る礎となるだろう。戻って来なくても、故郷への愛着は続くはずだ(「ふるさと納税」の本旨は、返礼品目当てでなく故郷への貢献だったんじゃないのか)。

 そしてもちろん、生まれ育った地域に残って町を元気にしよう! と決意する若者を巣立たせる。島根県立隠岐島前高校に代表される「高校魅力化プロジェクト」の各地での成果や、東日本大震災で「消滅」の危機をいち早く実感した東北の被災地の高校が、いくらでも良い実例を見せてくれている。

 12年前には、生徒数減少により廃校になる寸前だった隠岐島前高校は、学校の魅力や島の風土のすばらしさを訴え続けた結果、都会からの「留学生」を多数集めて生徒を大幅に増加させただけでなく、学校のある島根県海士町をなんと人口増に転じさせ、「離島の奇跡」と呼ばれる町にした。教育は、地域を活性化できるのだ。その過程は、『未来を変えた島の学校――隠岐島前発 ふるさと再興への挑戦』(2015年、岩波書店)に詳しい。

 震災で激しい打撃を受けた岩手県大槌町では、岩手県立大槌高校の取り組みが始まっている。地域の中心都市である釜石市の高校へ進学する流れを、地元高校の魅力を訴えることで変えようとしている。町内の小中学校を統合する際、小中一貫9年の町立大槌学園小中一貫教育校という形で大槌高校に隣接する敷地に設置したのも、その一環だ。

 大槌高校に限らず、被災地の市町村で高校生たちが町の元気を取り戻す活動に果たしている役割は大きい。震災に加え原発事故の被害を受けた福島県双葉町の福島県立ふたば未来学園高校の生徒たちの活躍ぶりは、国内だけでなく世界的にも知られている。菅義偉首相が、就任後初の被災地訪問でこの学校を訪れたニュースは記憶に新しい。

郷土で高校まで過ごすことが人格形成に重要

 他にわたしが訪れた地方でも、こうした動きはほうぼうで見られる。海士町がある島根県では、津和野町の津和野高校、雲南市の大東高校、三刀屋高校も新しい発想で活性化を図っている。広島県大崎上島町の広島県立大崎海星高校は、わたしが広島県教育長をしていた頃に構想し98年に二つの高校を統合して作った学校だが、これまた現在では魅力化プロジェクトで有名になっている。

 高校は、大学や専門学校進学のためにだけあるのではない。実は、地域において重要な役割を果たしているのである。生まれ育った土地で、小中学校だけでなく高校までを過ごすことは、人格形成の重要な段階で地域の中でのさまざまな活動を経験し、郷土への愛着を生むに違いない。毎日長時間かけてよその町の高校に通学するのでは得られない、郷土に密着した高校生活の意味はそこにある。

 長崎県五島列島にある長崎県立五島海陽高校の、「私たちは故郷を捨てない」で始まる生徒宣言を忘れられない。わたしも関わったこのときの生徒たちは、島で教師になるため島外の大学で教員免許を取得しようと学ぶ者、島外の専門学校で身につけた技術資格を島で生かそうとする者、島の農業や水産業で働く者、それぞれが、「故郷を愛し、誇るために 自らを厳しく鍛え 思いやりの心を持ち いつか社会を支える力になる」との誓いを実現するため頑張っている最中である。

 だが、全国的な情勢を見ると、地域人口や子どもの数の減少で、高校統廃合には歯止めがかからない。全国1700余の市町村のうち、約440には高校が存在しない。辛うじて残っているところでも、存続が危うくなっている例は多い。このままで行けば、過疎地自治体には高校がなくなってしまうではないか。これらの地域は、「消滅」するとされる側にカウントされているところがほとんどだ。

「消滅」回避のためには、今在る高校を潰してはならない。理想的には、現在高校が存在しない市町村にも、廃校となったものを復活させるか、新たに高校を作ると良い。そうすれば、地元で働く若年層も新規移住者も、確実に増えていくだろう。

 現在の市町村は、「平成の大合併」と呼ばれる1999年から2006年までの合併により3232から1821に減少した結果が成立基盤となっている。ただ、残念なことに、この合併は新自由主義的な合理性を前提とし、市町村運営の経済性を優先したものだった。

 それに比べ、1888年から89年までに市町村数が7万1314から1万5859に減少した「明治の大合併」、1953年から61年までに市町村数が9868から3472に減少した「昭和の大合併」の場合は、市町村のアイデンティティの基盤となる学校を作ることが大きな目的のひとつだったことは、あまり知られていない。

 明治においては小学校、昭和の戦後すぐには中学校が、大多数の国民の「最終学歴」であり、そこまでが普通教育、国民教育と認識されていた。明治には、小学校を設置できる規模、昭和には中学校を設置可能な規模が、市町村に最小限必要とされたのである。

 文部省唱歌「故郷(ふるさと)」に歌われた「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」である「忘れがたき故郷」は、明治には小学校を出たところ、昭和戦後には中学校を出たところだった。

 高校進学率が100%近い現在、明治の小学校、昭和戦後の中学校に当たるのは高校なのである。明治の市町村に小学校が、昭和の市町村に中学校が必須の存在であったように、現在の市町村には高校が欠かせない。改めて、全ての市町村に少なくとも1校の高校を置くべきである。

 ……そんな無茶な! と一笑に付されそうだ。たしかに、一昨年までは荒唐無稽な話だった。従来型の高校を維持するだけの予算確保は極めて難しい。ましてや新設なんて、たとえ都会であっても容易ではない。

 それが、コロナ禍で状況は一変した。学校一斉休業を機にリモート授業が急激に普及し、その効果も一定のものが認められつつある。また、広域通信制高校の出現によりネットで日々の学習を行う新しい形態が定着してきた。たとえば、1万5000人近い生徒が在学する「N高」では、パソコン、スマートフォン、タブレット、VRゴーグルなどを駆使して日々の学習を行っている。今や通信制で学んでも、通学制と同様の進路選択が可能になっているのだ。

 だとすれば、必ずしも全ての授業を従来の対面式で行わなくても構わないのではないか。たとえば、一部の授業をオンライン形式にすると、少ない生徒数に見合った教員数であっても、多様な教科・科目を開設する余地ができる。文部科学省も、高校の授業形態や履修認定について、許容範囲を広げる方向へ進んでいるようだ。文部科学省ホームページに、「高等学校における遠隔授業〔教科・科目充実型〕」として掲げられている。

「消滅」回避のために全ての市町村に高校を

 既に、この方向の取り組みは始まっている。

 過疎地の高校を多数抱える北海道では、道教育委員会が、今年4月から「北海道高等学校遠隔授業配信センター」を設置した。①国語、数学、英語に関する科目の習熟度別授業 ②理科のうち物理、化学、地学に関する科目、地理歴史・公民のうち世界史、日本史、地理、倫理、政治・経済に関する科目の選択授業 ③芸術(書道、音楽、美術)の授業 を配信し、活用できるようにするというのだ。その目的は、こう説明されている。

【地域の小規模な高校等で、大学進学等の進路希望に対応した幅広い教科・科目を開設できるようにします。地域の子どもたちが、地元の高校に通いながら、将来の夢や希望をかなえることができるよう、学習環境を充実させます。】

 もちろん、こうした方式を取るに当たっては、何より生徒本位の学習体制が必要である。その場合、全員がほぼ同じカリキュラムとなる普通科ではなく、一人ひとりの希望する授業を選択可能な総合学科の形をとれば、よりスムーズに、また、より選択の幅を広げてそれが可能だ。

 残念ながら、まだまだ知らない人が多いのだが、普通科や、農業、商業、工業などの専門学科と違い、総合学科は生徒が主体の構造になっている。国語、数学などの必修科目以外は、どの授業を履修するか生徒自身が選択していくのである。1年生の時、全員が履修する「産業社会と人間」という総合学科だけにある必修科目で、自分のこれからを考え、キャリアデザインに取り組む。

 2年生、3年生になると、そのキャリアデザインに沿って、自分が学ぶ必要を感じる教科、科目を選択していくのである。全員がほぼ同じ時間割で学習する普通科と違い、一人ひとりが自分だけの時間割を作っていく。

 総合学科なら、都会の高等教育機関に進学する生徒も、故郷で地域を支えようとする生徒も、それぞれ必要とする学習内容を選ぶことができる。ご紹介した、ふたば未来学園高校や五島海陽高校は、この総合学科なのである。

 地域の高校を存続させるために、また、自分たちの市町村に必ず1つの高校を保有するよう廃校復活や新設に挑むために、それぞれの地域で真剣に考えてみてはどうだろうか。縷々述べてきたように、新しい発想に立ちさえするならば、決して無理な話ではない。

 全ての市町村に高校を! これが実現するあかつきには、日本の過疎地域状況は劇的に改善されるはずなのである。

執筆者プロフィール

寺脇 研(てらわき・けん)

1952年福岡県生まれ、鹿児島県育ち。75年に東京大学法学部卒業と同時に文部省(当時)入省。福岡県教育委員会義務教育担当課長(84~86年)、広島県教育委員会教育長(93~96年)と2度の地方勤務を交えつつ、生涯学習、初等中等教育、高等教育、文化のセクションを歴任。官房審議官(生涯学習政策担当)、文化庁文化部長を経て06年退官。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)教授として映画学科、マンガ学科の授業を受け持つとともに、東北芸術工科大学でコミュニティデザイン学科にも関わる。著書に『「フクシマ以後」の生き方は若者に聞け』(主婦の友社)、『国家の教育支配がすすむ [ミスター文部省]に見えること』(青灯社)など多数。最近刊は、前川喜平、吉原毅との共著『この国の「公共」はどこへゆく』(花伝社)。

寺脇 研
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