変革は辺境から生まれる。新しい波は都会ではなく、すこし離れた場所から誕生することが多いようだ。秩父地方の静かな町・横瀬町には、現町長の富田能成さんが就任する10年以上前から「まち経営課」という不思議な部署が存在している。なにをしている部署なのか、いまこれを書いている僕自身もまだよく分かっていないのだが、ここの顔となる人物を4日間密着取材した。
文・写真=檀原照和(ノンフィクションライター)
「頼まれたら断れない」という人の良さから、相談事を聞いているうちにいつしか「町の誰もが僕の電話番号を知っています」という状態に
町中の人が携帯番号を知っている
「不動産屋さんじゃなかったんですね!」
横瀬町役場の裏手にあるベーカリーに、同役場まち経営課の職員である田端将伸さんと一緒に入った時の話である。
今年(2022年)1月末にYouTubeで公開された短編劇映画『新海旅 私は秩父で「海」を見た』[YouTube ]に出演している田端さん。それを観てある人が冒頭の「不動産屋さんじゃ……」と言ったのだという。
「役者」……? 「不動産屋」……? 「公務員」……?
「まち経営課」に所属し普段は役場で空き家対策等を担当している田端さんだが、仕事の範囲はそれに留まらない。世間的には地域商社「ENgaWA(エンガワ)」や農協の直売所跡地を転用したフリースペース「エリア898」、企業に実証実験の場を提供して町民参加で検証を行う「よこらぼ」、秩父三大氷柱の一つ「あしがくぼの氷柱」等の仕掛け人として知られる。埼玉県庁では、なぜか劇団の主宰者だという噂まで立っていたそうで、もうなんだかよく分からない。そんな彼のことを「スーパー公務員」と呼ぶ人も少なからずいる。
従来公務員は行政、保健、福祉、施設管理等のタスクを粛々と行うのが仕事とされてきた。しかし少子高齢化や人口減少等が顕在化したこれからの日本では、公務員にも変化が求められる。自ら考え、動き、リスクをとる企画立案型の人材が求められているのだ。
もっとも田端さんはエリート然としていない。町中の人に個人携帯の番号を知られている田端さんの許には、見知らぬ番号から着信することも珍しくない。一方的に相談事をまくし立てられ、通話の最後に「ところでどちらの方でしたっけ?」と尋ねたところ、全く知らない相手だったこともある。
敷居の低さは意識的な行動の賜物だ。例えば前述の「エリア898」では毎週2回高齢者向けに「ITよろず相談室」が実施されている。取材2日目に顔を出した70代の元気なお婆ちゃん、河野さんは田端さんについて「結構息子感があるというか。『まさのぶ〜』みたいな。お母さん的な感じで見守っています」と言って笑った。
〝公務員といえども一生活者〟がポリシー。地元なので行く先々に顔なじみが(中央が田端さん)
こうした間柄だとパソコンやスマホの話は半分程度になる。残り半分は悩み相談を主体とした雑談だ。それを「IT相談」という名目で掬い上げているのだ。実際に相談にあたっているのは「リングロー株式会社」というリユースパソコンのトータルサービスをしている会社の社員たちだ。彼らは悩みや苦情をデータにまとめて行政に提出する。これが高齢者層の声としてまちづくりに反映されるという仕組みだ。手が空いていれば田端さんも対応する。
この日は「駅前食堂」のメニューに対して、世間話の体で不満がもれていた。それに田端さんが応える。お店の人に直接言うと角が立つ。ワンクッション置いたやり方はひじょうに上手いと思った。
このゆるさというか、融通無碍な感じは「エリア898」の利用者の構成にも現れている。役場の会議や「よこらぼ」の審議、コワーキング、イベント会場として活用される他、学校帰りの中学生の溜まり場としても親しまれている。というのも、「898」は有料イベントを主催しない限り、誰でも無料でつかえるからだ。大人が仕事の打ち合わせをしている様子を、横瀬の中学生は漫画を読みながら日常的に目にしている。
隣接する敷地には「一般社団法人タテノイト」が運営する子供たちの学びの拠点「NAZELAB(ナゼラボ)」が建設中だ。徒歩数分の距離には地域商社「ENgaWA」の活動拠点である「チャレンジキッチン ENgaWΛ」もある。小さな芝生広場にパラソルやテーブル、イスを置いたカフェ風の場所で、地域おこし協力隊員が特産品の開発・販売の拠点としても使用している。横瀬には商店街がない。この一帯は町民会館や民俗資料館も建つ言わば町の文教地区だが、同時に商店街の光景の「あら奥さん、こんにちは」的な会話が成り立つ暮らしの場に生まれ変わろうとしているのだった。
打ち合わせやイベントに利用され、交流の場ともなっている「エリア898」
地域商社「ENgaWA」の活動拠点「チャレンジキッチン ENgaWΛ」
横瀬はそういう話が出来るんですね
行政マンの間でよく知られている取り組みが、5年半前に始まった企業の実証実験の受け入れ制度「よこらぼ」だ。通常は自治体の課題に対して企業が「うちが解決しますよ。そのための実験をしますから補助金をお願いしますね」なのだが、横瀬の場合は「実証実験をやりたくても場所がない企業さん、うちが受け入れますよ。全面的にサポートしますが、お金は基本、出せません」という姿勢をとっている。
毎月実証実験を受け付けているのは全国で横瀬だけだ。提案数は取材時点でのべ166件。そのうち100件超が実現している。[参照:よこらぼ採択プロジェクト ]月平均で3件の申請があり、1.7件が稼働している計算だ。
折しも取材中、某大手企業から実証実験の問い合わせがあった。屋内の衛生環境(換気状況等)を見える化(数値化)するというもので、「エリア898」で検証させてもらえないか、という話だった。
先方は既に東京、大阪、三重、岐阜、長野等全国各地62カ所ものレストランや商業施設等で検証作業中だったが、公共施設にも機器を設置したいそうだ。この実証実験で室内の二酸化炭素の量や人口密度等が数値化されるので、コロナ渦での安心安全をアピールするのに役立つという。
田端さん:結論を言うと、町の公共施設への設置は難しいと思います。「行政はきちんとしているはずなので衛生面でも安心なはず」とみんな思ってくれています。わざわざ役場に出かける前に、役場の衛生状況を確認する町民がいるとも思えません。
さらに役場は手続きに行かなければならない場所。個人の都合で行く・行かないを選択する場所ではありません。逆に設置することでなんらかの問題が発覚するかも知れません。それがリスクになると思われ、敬遠される可能性が考えられます。それこそ「藪蛇」です。わざわざ需要のない機械を設置してリスクを招く公共機関はどこもない気がします。置くなら民間でしょう。
大事なのは国の認証ですが、東京都知事の方が動きが良さそうな感じがするので、東京でやるのであれば『都の認証マークの他に弊社の機械を入れて見える化すると補助金が出ますよ』という仕組みが出来たら御社は儲かるかもしれないですね。
企業担当:虹色ステッカー(東京都の「感染防止徹底宣言ステッカー」)は、運用の初期段階で対策を講じていないのにもかかわらずステッカーを掲示している店が見つかる等、問題が散見されました。ステッカーは人と人との信頼で成り立っていますが、そういうケースが増えるとステッカーの信頼が落ちます。機械はその穴を埋めてくれると思います。
ただしそうした店で機械が予期せぬ方法で運用されることで、ステッカーのみならず機械の信用も毀損するリスクが心配です。
田端さん:Googleマップと連動させたらどうですか? Googleマップで店の評判をみるとき、写真や口コミのほかに、このセンサーの数値も併記されていたらカッコイイ。口コミと機械の数値が並んでいたら、虹色ステッカーよりも数段ちゃんとしているような気がします。小池都知事も「いいね」と言ってくれそうです。「お金を出して導入したい」というお店もあるんじゃないでしょうか?
企業担当:うーん。なるほど。
田端さん:逆に機械を行政に無料で貸し出すとか。そうすれば機械の信頼性が高まります。「行政でも取り入れている機械をうちのお店は使っているんですよ」というアピールに使われれば、有効性が上がると思います。
企業担当:横瀬はそういう話が出来るんですね?
田端さん:ビジネスのことは分からないので知ったかぶりで言うだけですけどね。
「よこらぼ」にのべ166件もの申請が集まる理由が分かるような気がした。
町外から相談を受けることも。この日は東京・麹町の「地域イノベーション連絡会議」からのラブコールでリモート会議に参加
「まちづくりはまだ準備段階です。同志を見つけて『これから旅に出ようか』という段階までは来ている感じはしますけどね」
「田端でも出来るんだからオレだって」
まだ「ENgaWA」が立ち上がって日が浅いせいもあり、取材期間中の田端さんは日が落ちるまで役場の仕事に手を付けられずにいた。「ENgaWA」には自分の役職はない。事実上の副社長のような役回りだが、本来は役場のなかの担当者に過ぎない。役場に戻るのはようやく19時になってからだ。そうして24時過ぎまで本来の業務をこなす。翌朝6時に起きて8時半に役場に顔を出し、10時に「898」に駆けつける。「田舎」という言葉から連想されるスローな時間は流れていない。これだけ忙しくてストレスは溜まらないのだろうか?
「演劇をやってきたせいか、自分を客観的にみられます。自分の状態を俯瞰してみられるとストレスは軽減されるんですよ」
スーパー公務員のなかには、改革が進まない組織の外に出て起業する者も珍しくない。多忙な身であれば尚更だ。田端さんはなぜ役場に踏みとどまっているのだろうか?
「公務員が公務員として今まで通りの仕事をしているだけでは未来は変わりません。そんななかで変なおじさんが出てきて楽しそうに仕事をしたら、役場の若手に伝わるものがあるんじゃないかと思って。それが自分の役割です。
オレは本当にその辺の公務員で、いまやっていることは熱意さえあれば誰でも出来るんですよ。『田端でも出来るんだからオレだって』というのは大切にしている部分です。実際公務員でも業務外の時間でNPOで活躍している子もいるわけですよ」
冬の名所「あしがくぼの氷柱」に案内してもらった。氷柱は幻想的で人出も多かった。しかし観光地につきものの出店はない。
「観光客にしてみたら『温かいものを売ってくれたら良いのに』と思うでしょう。でもここに店を出してしまうと周囲の飲食店に行かなくなるし、会場の滞在時間が増えれば、駐車時間も増えて渋滞が酷くなります。だから敢えて出さないようにしているんです」
この氷柱は手作りで、当時観光担当だった田端さんと実父が副会長を務めていた町観光協会、そして地元の住民らがボランティアで始めたのだという。父親は蕎麦屋を経営しているが、どぶろく特区制度を活用して醸造にも手を出す等チャレンジングな性格のようだ。その血筋が田端さんを形作っている要素のひとつなのだろう。
毎年1~2月に公開される「あしがくぼの氷柱」。幅200m、高さ30mにおよぶ氷の芸術だ
富田能成町長は「いわゆるスーパー公務員と呼ばれる人は世の中にたくさんいます。田端君も町の発信の最前線にいるのです。その裏側で地元の消防団や中学校のPTA会長を務める等、地元に根ざしている。新しい住民が入ってきたときに、伴走して町との結節点になりうる人材です」と評する。
独特なポジションにいるとはいえ、田端さんは公務員。いずれ人事異動でちがう部署に行く可能性は高い。そうしたら今のような活動は出来なくなるのではないか?
「以前いた振興課の観光担当から離れて大分経ちますが、いまでも顔を出しています。まち経営課から異動しても、新しい仕事のほか、今自分がやらなければということは引き続きやります。だから名刺は自腹でつくっていて課の名前が書いていないんです」
「898」の2階には会員制施設「LAC横瀬」[詳細情報 ]が完成し、定額制泊まり放題、ワークスペース使い放題のアドレスホッパー(多拠点を住み歩くノマド)たちの拠点として利用が進む予定だ。
昨年9月に立ち上げた「株式会社ENgaWA」。
「ENgaWAの定款には全部で27項目の事業目的が書かれていますが、まだ3つしか形にしていません。ネット販売の管理や再生エネルギー事業、DX事業等『この地域にあったらいいな』を地域内で取り込めるよう、地元の民業を圧迫しないように稼いで、地域に還元する。地域経済を循環させようと始まった夢物語が、50年先、100年先までつづけられたらと思っているんです」
新任の地域おこし協力隊員らを前に「人口が減っても所得が変わらない世界が築けたら」と語る(右から3人目が田端さん)
檀原照和(だんばら・てるかず)
1970年東京生まれ、川越育ち。舞台活動を経て文筆業。カリブ海で地元に根付く民間信仰ヴードゥーの儀式に参加したり、東京湾で軍事要塞のサルベージ作業をするなどしながら取材記事を発表している。著書は『白い孤影 ヨコハマメリー』(ちくま文庫)ほか。日本文藝家協会会員。