東京から90分という距離にありながら、自然豊かな埼玉県比企郡ときがわ町には自ら仕事を創りたいと考える若者たちが集まってくる。そんな町の「人」と「仕事」を巡る物語―—。
文=風間崇志
“夢”の実現を加速させた二つの出会い
本連載で、私がお伝えしたいときがわ町の魅力は、地域で「しごとをつくる人」たちだ。第2回で取り上げた「比企起業塾」の卒塾生以外にも、ときがわ町で「しごと」を生み出している魅力的な人たちがたくさんいる。
今回紹介するのは、「移動絵本屋てくてく」を営む小原泰子さん。ときがわ町を拠点に車で移動しながら絵本やハーブティーを販売している。開業する以前は本に関わる仕事をしていたわけでもなく、子どもが通っていた保育園のお話会サークルに参加したり、小学校で絵本の読み聞かせボランティアをしたりしていた程度だった。
「移動絵本屋てくてく」と店主の小原泰子さん
あるとき、『絵本はこころの架け橋』という1冊の本を読んだことで、子育てに悩んだときにはいつも絵本があったことに気づく。子どものときには気づかなかったが、大人になって、子育てをする立場になったからこそ得られる絵本の新しい価値を見出したのだ。
「大人にこそ絵本を読んでもらいたい」――いつしかそんな想いが芽生えていた。
当初、小原さんが思い描いたのはブックカフェだ。サークルの友人と「5年後くらいにオープンしたい」と軽い気持ちで話していた。でもやり方がまったくわからない。知人の比企起業塾生から、町の起業支援施設「ioffice」を紹介されたのはそんなときだ。 2019年1月、小原さんは起業相談に訪れた。ここでの二つの出会いが、小原さんの“夢”を加速させた。
一つ目の出会いは、比企起業塾を主宰するときがわカンパニー代表の関根雅泰さんだ。小原さんは、自分がやりたいことを関根さんに話すうちに、目指す本屋のイメージがだんだん形になり、“夢”が具体化していくのを感じたという。お店は、固定費を節約するため移動販売車とし、ハーブティーなどの飲み物を提供するというアイデアも生まれた。
もう一つの出会いは、関根さんに紹介された本屋を営む女性だ。彼女から話を聞くことで、本屋の開業のために何をすればいいかを具体的に行動に落とし込んでいくことができた。それだけでなく、近隣の図書館での仕事を紹介され、本の仕事を学ぶ上でこれ以上ないチャンスを手にすることもできたのである。
絵本を通して生まれるコミュニティの場
そこからの展開は早かった。30年間務めた福祉施設を退職し、図書館でのパート勤務の傍ら、絵本を使った大人のための心理療法を実施する絵本セラピストⓇの資格を取得。取次店との契約、名刺・ホームページの作成、移動販売車の調達など、加速度的に開業の準備を進めていった。
そして「移動絵本屋てくてく」がオープンしたのは2019年5月のこと。当初は5年後だった計画が、起業相談からたった4カ月で開業に至ったのである。小原さんの移動販売車は今や、毎月第3日曜日に起業支援施設で開催されているイベント「本屋ときがわ町」の看板的な存在となっている。
現在は新型コロナウイルスの影響で出店は控えめだが、近隣地域の飲食店などの店先や各種イベントでも出張販売を行っている。また、2020年7月からは、町内の古民家の一角を借りて、絵本をじっくり読んで選べたり、話ができたりする「絵本処」を新たに開業した。絵本を楽しむ人たちのコミュニティづくりの場になるとともに、お菓子類や雑貨の販売スペースを設けることで、小物をつくって小商いを営む人たちとの連携も生まれているようだ。
ときがわ町では、このように人の“夢”を周りの人が応援する、そしてその“夢”が実現して「しごと」になるということがよく起こる。私が魅力を感じるのは、まさにそこである。しかも地元に住んでいる人だけでなく、町外から来たヨソ者に対しても寛容だ。地域で「しごと」をしている人がハブとなって、次の「しごと」をつくる人が生まれる。そんな好循環が生まれている町なのである。
古民家の一角にある「絵本処」。新刊のほかに中古の絵本も扱う
【移動絵本屋てくてく】
:https://kataguruma.crayonsite.com
執筆者プロフィール
風間崇志(かざま・たかし)
1981年生まれ、埼玉県草加市出身。妻、一姫二太郎の4人家族。2006年、まちづくりを志し、越谷市役所に入庁。農業や商工業、伝統工芸振興、企業誘致などに携わり、多くの新規事業を手がける。
18年に比企起業塾の第2期を受講し、20年に個人事業主として起業。屋号は「まなびしごとLAB」。埼玉県比企郡や坂戸市を中心に、行政や中小企業のお助けマンとして、企業支援や地域活性化、地域教育、関係人口づくり、ローカルメディアづくりなどに取り組む“まちづくりすと”。
:https://www.manabi-shigotolab.com/