美食ガイド『ゴ・エ・ミヨ』も認めた埼玉県産食材の魅力

成見智子

深谷市にある尾熊牧場の尾熊将雄さん(手前)と尚子さん(奥)、息子の太郎さん(左) 写真提供:尾熊牧場

 今年、フランスの本格レストランガイド『ゴ・エ・ミヨ2021』日本版に初掲載された、さいたま市大宮区のイタリアンレストラン「バール&トラットリア ディアボラ 大宮店」。伝統的なイタリアンのレシピに埼玉県産の農畜産物をふんだんに取り入れていることが「特筆すべき美点のある店」として評価されている。

 若手農家グループ「さいたまヨーロッパ野菜研究会」が提供する新鮮な野菜と並び、同書で言及されているのが「武州和牛」。埼玉の「ご当地牛」として、年々存在感を増している。長期肥育により、きめの細かい良質なサシが入り、肉の旨味がよくのっていると評判の黒毛和牛。埼玉県武州和牛組合の生産者・尾熊牧場を訪ね、その味の秘密に迫った。

写真・文=成見智子(ジャーナリスト)

第2回 長期肥育でじっくり育てた、味わい深い「武州和牛」 ~尾熊牧場(深谷市)の尾熊将雄さん、尚子さん

じっくりと時間をかけ、肉質と味を究める

 乾草を山のように積んだフォークリフトが、牛舎の間を行き来する。午後4時過ぎ。埼玉県深谷市今泉 で「武州和牛」を生産する尾熊牧場では、女性スタッフが夕方の給餌をしていた。

 尾熊牧場は、北は利根川、南は荒川に挟まれた武蔵野台地の北部にあり、月齢別に4カ所の牛舎を持つ。北武蔵台地と呼ばれるこの地域は、戦後まもなく入植が開始され、碁盤の目状に整備された櫛引開拓地を擁する田園地帯として知られる。

 飼槽に首を伸ばす牛たちの様子を一頭一頭見ながら、牧場主の尾熊将雄さんはゆっくりと歩を進める。芳香を放つ、青々とした乾草はイネ科のチモシー(オオアワガエリ)。ウィート(小麦)とともに、子牛を大きく育てていくためには欠かせない粗飼料だと将雄さんは言う。

「導入直後から5カ月ぐらいまでの若い牛の粗飼料は、繊維質の多い牧草が中心ですね。エサをたくさん食べられる、しっかりした“腹”を作ります。成長するにしたがって少しずつ、栄養素の多い配合飼料の量を増やしていく。その頃に並行して、おからのサイレージ(乳酸発酵させたエサ)もたくさん与えます。高たんぱくなので、肉の量がぐっと増えるんですよ」

フォークリフトで牛舎に飼料を運ぶ

 穀物を中心に多種類の原材料を圧ぺん加工した配合飼料は、敷地内にある貯蔵タンクからパイプを通って各牛房に送られる。尾熊牧場は、飼料会社と共同開発したオリジナルブレンドを使用。その特徴は、「乾式トウモロコシ」を配合していることだという。

「飼料としては、蒸気でつぶした湿式が主流ですが、うちはポップコーンになる一歩手前くらいまで熱を加えた乾式を使います。でんぷんがアルファ化(糊化)して、胃の中でゆっくり消化されるので、湿式に比べて牛の体にも優しく、肉の味も良くなると思います。値段ではなく、自分が納得したものを選んで牛に与えるようにしています」

 武州和牛は、埼玉県「彩の国優良ブランド品」の認定を受けている黒毛和種。2001年、生産農家による埼玉県武州和牛組合が発足し、03年に商標登録されている。尾熊牧場は、現在20軒ほど組合に加盟している農家の中でもっとも肥育頭数が多い農家だ。

 サシがしっかり入っていて味わい深いと評判の武州和牛。その味を作っているのは、餌だけではない。一般に、黒毛和牛は生後25カ月ほどで出荷が始まるが、武州和牛はそれより数カ月長めに肥育される。その期間は農家によって異なるが、尾熊牧場では生後9~10カ月の素牛(子牛)を導入し、33カ月程度まで肥育して出荷。肥育期間は2年近くになる。長く飼えば、その分エサ代も人件費もかかり、病気などのリスクも高まるが、それを補って余りある仕上げになると将雄さんは言う。

「月齢30カ月を過ぎると長期肥育と言われます。リスクはありますが、それだけ味に違いが出るんです。肉の味が乗ってくるのは、ここからですから」

夕方の給餌の時間。将雄さんは一頭一頭の様子を確認するように牛舎を回る

 現在、黒毛和牛の値段を決めるのに使われている目安は、脂肪交雑(霜降り具合)や肉質、肉の量などで判断される「格付」(※1)と、ブランド名のみ。それでも将雄さんは、格付けの評価基準にはない「味」にこだわり続ける。

 牛が若いうちはローカロリーな粗飼料を十分に食べさせてじっくりと腹づくりをし、その後徐々に高エネルギーな飼料に変えていく。時間をかけて太らせていくことで、きめの細かい良質なサシが入り、肉の旨味も増していく。そして、牛の体にかかる負担も小さくなる。肉問屋からは「内臓の廃棄率が非常に低い」と評価されているという。

 肉質などの市場評価だけでなく、消費者の満足につながる味を追求する将雄さんの姿勢に、妻の尚子さんも賛同する。

「自分の育てた牛が格付けで最高ランクのA5を受けることは嬉しいですが、味を評価され、おいしいと言っていただくことはもっと嬉しいです」

AIを活用した体調管理で、品質も向上

 尚子さんは、牧場の経理や広報などを担当している。結婚とほぼ同時に経営を引き継いだ将雄さんの奮闘ぶりを見守りながら、その経営を支えてきた。

「義父は55歳の若さで亡くなってしまい、主人は20代で跡を継ぎました。それまで両親が二人三脚で一生懸命に牛を育てる姿を見てきましたから、主人も今まで無我夢中でやってきました。黒毛和種を導入し始めた時は、月に何日も家を留守にするほど忙しかったですね。わたしは3人目の子がおなかにいる時だったから、主人がいなくて本当に大変でした(笑)」

 今年で創業68年を迎える尾熊牧場の歴史は1953年、将雄さんの父が17歳で1頭の乳牛を飼った時から始まった。結婚時には2頭になり、尾熊家は酪農家としての道を歩み出した。20年以上酪農を続けたのち、79年に畜産へ転向。当初はホルスタイン種を肥育していたが、89年にF1種(※2)を導入した。91年、将雄さんは尚子さんと結婚。同年に父が他界し、家業を継いだ。97年から黒毛和種の導入を開始。01年には全頭が黒毛和種となり、肥育頭数も毎年のように増やしてきている。

 現在、尾熊牧場の肥育頭数は約3400 頭で、従業員は25人。子育て中の女性で、手が空いた時間帯に半日だけ勤務するというパート従業員も多い。いろいろな人が働きやすい職場にするため、将雄さんは力仕事を減らし、短時間でも作業がはかどるよう、省力化や機械化を進めてきた。AI活用による効率的な管理も積極的に推進している。

 牛舎にいる牛を見ると、個体識別情報を識別するための耳標(番号識別票)の他、四角い箱のようなものがついたベルトが頸部に装着されている。体調管理をするためのセンサーだと、将雄さんは教えてくれた。

機械やAIを導入して効率化がはかられている。赤い箱のような機械が自動給餌器

頸部のベルトに付いているのが体調管理のためのセンサー

「気圧計と活動計が内蔵されているんです。一頭ごとの首の位置や体位、動作や運動量などをAIで分析し、体調が悪い牛については疾病警告アラートが出るようになっています。これだけの頭数になると、やっぱり人間の目視だけでは見落としたり、発見が遅れたりする場合があるんですよね。導入して2年以上経ちますが、事故が少なくなったし、成績も上がりました」

 健康状態が良くないとAIが判断すると、疾病警告アラートがスマートフォンに通知される。すぐに将雄さんや従業員が耳標と照会して該当の牛を確認。体温を計るなどして異状があれば、獣医に連絡する。深刻化する前に隔離して治療することで、事故の防止だけでなく、肉質・肉量のばらつきも少なくなり、導入前より高い格付けが得られるようになった。従業員のスキルアップにもつながると、将雄さんは見ている。

「牛が一時的にでも体調を崩すと、枝肉(※1)の重量が小さくなるし、肉質も落ちます。そうならないために新しい技術も導入して、どう体調を管理していくかを学ぶことは重要なんです。規模拡大にともなって、未経験者や若い人も増えているので、こういうもので補助できると全然違いますね」

約2年間、体調にも留意して大切に育てられる牛たち 提供:尾熊牧場

“うちの味”は出てる? レストランで確認

効率化をはかりつつも、一頭一頭をより注意深く管理できる体制ができたことで、年々評価を上げてきた尾熊牧場。武州和牛は2014年、さいたま市を中心に8店舗の飲食店を経営する株式会社ノースコーポレーション(以下、ノース社)のメニューに採用され、さらに販路が広がった。尚子さんが当時を振り返る。

「県内の農産物イベントで、ノース社の北康信社長から声をかけていただきました。その後、お店のシェフと一緒に牧場見学に来てくださったんです。うちの牛を気に入ってくださったようで、『埼玉を代表する牛になるよう一緒にがんばりましょう』と言っていただきました」

 ノース社は、市場で仕入れた武州和牛の肉と内臓を、余すところなく使用している。なかでも、ランプ(腰から尻にかけての部位)やイチボ(尻の一部)を使った「埼玉県産武州和牛のタリアータ」は好評で、同社の看板メニューに成長した。

 他にも、トウガラシ(肩の一部)と肩三角(肩バラ肉の一部)を使ったローストビーフや、端肉やスジ肉で作るパスタのボロネーゼソース、トリッパ(第2胃)のトマト煮、ほほ肉の赤ワイン煮込みなど、同社の牛肉料理にはすべて武州和牛が使われている。尚子さんは、時々レストランに夫婦で食事に行くという。

タリアータ

ボロネーゼパスタ

ローストビーフ 写真提供:ノースコーポレーション(料理3品すべて)

「わたしも主人も食べるのが好きだから、うちの牛を使ってくれているお店に食べに行くことはよくあるんですよ。自分の家の味がちゃんと出ているか、チェックをする意味合いもあります。他のお客さんが食べていたり、シェフやお店のスタッフさんが武州和牛の説明をしてくれているのを見かけると、ちょっと嬉しいですね。わたしたちが食べているお肉を見たお客さんが、『あれ、なんですか』と店の人に聞いて、同じものをオーダーしてくれたり。そういうのも楽しくて、ちょこちょこ行っちゃうんですよ(笑)」

 尾熊牧場の牛肉は、東京・新宿の高級ホテルや、タイ・バンコクの有名レストランなどでも使われ、精肉店では、武州和牛の中でも尾熊牧場を指定して仕入れるところもあるという。

跡を継ぐのは、社会経験を積んでから

 埼玉の「ご当地牛」の代名詞になるよう、埼玉県武州和牛組合全体で品質向上とブランド化がはかられている武州和牛。だが、生き物を扱う業種は、病気や死亡といった事故に加え、出荷調整がほぼできないといったリスクがあるのは言うまでもない。結婚して尾熊家の家業に携わり、現在に至るまでの約30年間を、尚子さんはこう振り返る。

「牛を飼っているとね、10年に一度くらいは試練があるんです。国内初のBSE(牛海綿状脳症)の発症が千葉県で確認されたのが2001年。口蹄疫の流行が2010年で、翌年には東日本大震災で福島の素牛の産地がダメージを受けました。そして今度は新型コロナです。毎回たいへんな思いをしていますが、組合があってよかったね、と組合員の奥さんたちと話しているんですよ。一農家としてできることは限られていますが、産地として、ブランドとして、この事態をなんとか乗り切ろうと協力してきました」

 飲食店の休業や集客減少の影響を受け、コロナ禍ではあらゆる食材の需要が激減している。それでも、牛は決まった月齢に達したら市場に出す。そうしなければ、その月齢の出荷にあわせて育ててきた牛のピークを逃してしまうからだ。牛の入れ替えもできなくなるため、相場が低い時には、利益が出ない取引があっても仕方がないのだという。

 昨年の4月から、ノース社は県産食材100%の「埼玉の生産者と共に乗り越えよう弁当」を開発。自社の飲食店で使用しているさいたまヨーロッパ野菜研究会(ヨロ研)の野菜や武州和牛のステーキなどを取り入れた弁当を店頭で販売した。ヨロ研野菜2袋とセットになった弁当は好評を得て、武州和牛の需要にもつながった。その後も尚子さんは地場産品の販売イベントなどにも積極的に出店し、需要の維持に努めてきた。

ヨロ研の野菜もセットになった「埼玉の生産者と共に乗り越えよう弁当」 写真提供:ノースコーポレーション

 組合の仲間や市場、飲食業者と連携し、家業を支えようと奮闘する尚子さん。そして、利益が減っても平常時と同じように手間とコストをかけ、武州和牛の味を守ってきた将雄さん。そんな両親の姿をそばで見てきたのは、大学生の長男・太郎さんだ。将雄さんに同行して東北地方に素牛の買い付けに行ったり、尚子さんのイベント出店を手伝ったり、自社ウェブサイトを制作したりと、日頃から積極的に牧場の仕事を手伝っている。

 20年6月には、ヨロ研会長でもあるノース社の北社長と、同副会長で野菜農家代表の小澤祥記さんとともに、武州和牛の生産者代表として埼玉県庁を訪問。「埼玉の生産者と共に乗り越えよう弁当」を購入した県庁農林部に弁当を直接届けた。大野元裕知事と面会した際は、武州和牛を埼玉のご当地牛としてブランド育成していくことに協力を求めたという。

生産者代表として埼玉県庁を訪問。左から太郎さん、北さん、大野知事、小澤さん 写真提供:ノースコーポレーション

 太郎さんは大学卒業後、そのまま牧場経営に携わることを希望しているが、尚子さんはそれにストップをかけているという。

「息子にとって、県庁訪問は貴重な経験だったと思います。ヨロ研の生産者さんともいろんな話をして、コロナの影響を受けて本当にたいへんだったと聞いたそうです。自分たちだけでなく、とても苦しい思いをしている人がたくさんいることを知って、すごく勉強になったでしょう。彼は牧場の仕事をいろいろ手伝ってくれて、本人も早く家に入りたいと言ってくれています。でもわたしたちは、卒業したらまずは他の企業に就職しなさいと伝えました。わたしも一般企業に勤めていましたし、主人も海外で修業したりして見聞を広げたのちに経営を引き継いでいます。社会人として、組織の中でちゃんと仕事をすること。人の下で働いて、従業員の立場を理解すること。息子が経営者になるのは、それを経験してからでも遅くはないと思います。農家であっても、これからはビジネスセンスが問われる時代ですから、しっかり修業してきてほしいですね」

 埼玉県武州和牛組合は、今年で発足20年。後継者不足により、畜産業の飼養戸数が全国的に減少するなか、同組合では若い世代へのバトンタッチが進んでいるという。今後さらに肥育頭数を増やし、武州和牛の価値を高めていきたいと将雄さんは語った。

「規模を拡大しつつ、本当においしい黒毛和牛の生産を究めていきたいですね。そして、いつか息子が一人の社会人として成長した時、帰ってきたいと思えるような仕事を、今後も続けていきます」

(注釈)
※1 牛肉は、枝肉(生体から頭部、表皮、内臓、尻尾、四足の一部を除去したもの)の状態で「歩留等級(A~C)」と「肉質等級(5~1)」が格付けされ、二つの等級を組み合わせた15段階で評価される。最上級の肉は「A5」等級。歩留等級とは、枝肉の重量に対する部分肉(骨や余分な脂肪、くず肉などを除いた部分)の重量割合を予測した数値。72以上がAランクとなる。肉質等級を決める基準は、「脂肪交雑」「肉の色沢」「肉の締まり及びきめ」「脂肪の色沢と質」で、5段階評価される。
※2 別々の品種を交配して生産された交雑種。代表的なのがホルスタイン種などの乳牛と黒毛和種の肉牛をかけあわせたもの。体毛は黒色だが、体のごく一部分に白い斑点が出ることが多い。両方の長所を受け継いでいるため、肉質は和牛に近く、体格はホルスタインのように大きくなるのが特徴

【尾熊牧場】
https://ogumabokujou.com/

【特集】美食ガイド『ゴ・エ・ミヨ』も認めた埼玉県産食材の魅力:

  • 第1回 地産地消の仕掛人 ~ノースコーポレーション代表取締役・北康信さん
  • 第2回 長期肥育でじっくり育てた、味わい深い「武州和牛」 ~尾熊牧場(深谷市)の尾熊将雄さん、尚子さん
執筆者プロフィール

成見智子(なるみ・ともこ)
ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、旅行情報会社の編集・広報担当を経て独立。東南アジアの経済格差問題をテーマに取材活動を始め、2010年からは地域農業の現場取材をメインとする。日本各地の田畑や食品加工の現場を訪ね、産地や作物の紹介、6次産業化・地産地消の取り組みなどの現状をリポート。
成見智子


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