これまでヨーロッパから空輸するしかなかった本場の野菜が、地元埼玉で手に入るようになった。
生産だけでなく流通・販売・普及まで視野に入れ、地域が一丸となって産地形成してきたさいたまヨーロッパ野菜研究会、通称「ヨロ研」。13人の若手農家が生産した年間約70品目のヨーロッパ野菜を、飲食店などに出荷している。取引先は全国で1200軒以上あり、うち埼玉県内への出荷は約1000軒。地産地消の成功例として、他地域からも視察が絶えないが、「そう簡単には真似できない」と関係者は口をそろえる。その取り組みの、何が新しいのか。成功の原動力となっているものは何か。3回にわたってレポートする。
写真・文=成見智子(ジャーナリスト)
第3回(最終回)キーワードは「郷土愛」。ヨロ研成功の2人の立役者 ~株式会社ノースコーポレーション・北康信さん、公益財団法人さいたま市産業創造財団・福田裕子さん
イタリアの野菜なんて、売れるのか?
時計は午後2時半を回っていたが、店内にはランチの余韻を楽しむカップルや女性グループが数組残っていた。JR武蔵浦和駅にほど近いイタリアンレストラン「トラットリア・アズーリ」。平日はパスタやピッツァをメインに、サラダ、自家製パン、狭山産の紅茶がセットになったランチ(990円~)が人気だ。
たっぷりと盛られたサラダには、彩り鮮やかなヨーロッパ野菜がふんだんに使われている。前菜やデザート、ワインを追加したり、コース料理を注文してゆったりとランチを楽しむ客も少なくない。
左/トラットリア・アズーリの阿部正和シェフが作る、彩り豊かなサラダ。右/ランチ時には店頭に行列ができるという
この店のオーナーは、埼玉県内で8軒の飲食店を経営する株式会社ノースコーポレーション代表取締役の北康信さん。北さんは、さいたまヨーロッパ野菜研究会の会長でもある。学生時代に起業し、25年以上にわたって飲食業界に身を置いてきた北さん。地域に長く愛される店づくりを志すなかで、大事にしてきたことがあると言う。
「アレンジされた“なんちゃってイタリアン”とかではなく、しっかりと王道を行くことです。日本料理と同じくイタリアンも、長い歴史の中で選ばれて残ったレシピや、家族や店で代々伝わってきた料理があります。それに即したものを作ることが基本だと思ってやってきました」
ワインやオリーブオイルなどの加工品は、良質なものが輸入されるようになり、種類も豊富にある。だが生鮮品に関しては、輸入コストや鮮度などの問題から、選択肢が限られていた。国内外の料理コンテスト等で数多の入賞を果たしてきた現場のシェフたちが、鮮度の高いヨーロッパ野菜を求めていることもわかっていた。ヨロ研の立ち上げは、王道を貫くためには不可欠だったのだ。
その糸口は2009年、北さんが目にした日経新聞の記事の中にあった。地元さいたま市のトキタ種苗株式会社が、日本の土壌に合うように改良したチーマ・ディ・ラーパ(西洋ナバナ)などヨーロッパ野菜の種を販売するという内容だった。本場の味にまた一歩近づける好機だと、北さんは感じたという。
「日本ではマイナーな野菜かもしれませんが、南イタリアの料理を作る時には欠かせません。春先に、レストランで菜の花のパスタが出ることがよくありますよね。でもあれは代替であって、本当はチーマ・ディ・ラーパを使いたいところです。国内で生産できるなら、代替ではなく本物になります」
記事を読んだ北さんは、すぐにトキタ種苗の社長に連絡して会いに行った。地元で生産体制を築き、地産地消を実現する。両者ともに、思い描くものは同じだった。だが、そこには肝心なものが抜けていた。
「トキタさんに、生産者を紹介してもらおうと思っていたんです」と北さんは振り返る。
「そしたら逆に、だれか紹介してくれないかと言われてしまった(笑)。そこから生産者を探すのに4年かかりましたよ」
ヨロ研の会長を務める北康信さん 写真提供:ノースコーポレーション
農家を訪ね歩き、ヨーロッパ野菜を作ってほしいと頼んでも、首を縦に振る人はいなかった。「作り方がわからないし、イタリアの野菜なんて売れるのか」という反応がほとんどで、興味を持ってもらえない。さいたま市周辺は小松菜やほうれん草の栽培がさかんで、300年以上にわたって代々続く農家が多いからだ。既存の野菜で成功している60代・70代の農家に対し、栽培方法も知名度も確立されていない未知の野菜の可能性や将来性を説くことは、至難の業だった。
「中規模中品目」をめざす
北さんが生産者探しに奔走していた頃、公益財団法人さいたま市産業創造財団の福田裕子さんは、東日本大震災の被災地の産地支援事業に携わっていた。東北の農産物を市内の飲食店で使ってもらうための事業は、当初は順調だったが、次第に売れなくなっていった。産地と消費地との関係性を長く続けるためには、足りないものがあったからだと、福田さんは振り返る。
「支援をすることによって、一時的なつながりはできますが、流通インフラができないんです。やはり拠点となる企業がないと難しいなと思いました」
6次産業化や官民連携を推進し、創業支援も手掛けている福田さん。農業において、消費地が必要としているものを届けられる産地になるには、売るための仕組みづくりはもちろん、業界の変革も必要だと実感していた。
マーケティング思考がない。それが、当時農家と話をするなかで強く感じていたことだったと、福田さんは言う。
「『できたものを売る』という考えから脱却できず、『欲しい人のために作る』という発想がほとんどありませんでした。逆に言うと、マーケティング発想を取り入れて産地を形成できたら、もしかすると“化ける”可能性はあるなと思ったんです」
さいたま市産業創造財団の福田裕子さん 写真提供:ヨロ研事務局
産地と消費地が近いというアドバンテージがある一方、個々の農地が狭いのが都市型農業の弱点だ。2012年の「さいたま市農家意向・意識調査」によると、農地面積が30アール以下という農家が全体の3割以上を占め、2ヘクタール以上ある農家は5%に満たない。大規模化以外の方法で生き残っていくためには、どのような産地形成をすればいいのか。福田さんがイメージしたのは、「大規模少品目」でも「小規模多品目」でもなく、「中規模中品目」の生産者グループだった。
「広大な農地で一つの作物を大量に作る、いわゆる大産地には太刀打ちできません。ヨーロッパ野菜の場合、個人でたくさんの種類の野菜を少しずつ作るカリスマ的な農家もいますが、取引先はシェフが一人でやっているような比較的小規模な店が多いようです。従来の産地と同じことをするのではなく、グループである程度の品目と量を作って、安定的に供給することで差別化を図っていけば、結婚式場やホテルなど、まとまった量を必要とする取引先にも販路を広げることができます。ライバルを考えたら、そこをめざすしかないと思いました」
ただ、飲食店向け農産物の地域内流通は、当時ほとんどの地域で実現できていなかった。飲食店が欲しい商品と産地が売りたい商品とが合致していないことに加え、注文から流通、決済までスムーズに行える仕組みがなかったからだ。
2012年、福田さんは地元でヨーロッパ野菜を作ろうとしている北さんに連絡を取った。そして産地形成の構想を共有し、財団としてその活動に加わった。目下の課題として北さんから相談されたのは、栽培農家をいかにして見つけるかだった。そこで福田さんは市とトキタ種苗の協力も得て、市内に約40ある農業団体すべてに声をかけ、2013年1月にヨーロッパ野菜の勉強会を開催。だが、成果は芳しくなかったという。
「勉強会では、こういうものがこれだけ欲しいから作ってほしいとみんなにお願いをして、種を渡しました。レストランで買い取るから、作ったら持ってきてほしいと。でも4月になっても5月になっても、どこからも連絡はありませんでした」
利益よりも大事なモチベーション
栽培農家を探す間にも、福田さんの構想をもとに準備が進められていた。ノースコーポレーションの各店以外にも販売先を開拓していき、地元の青果卸に依頼して流通も確保していた。あとは栽培農家を見つけるだけ、というところまで来たのに、手を挙げてくれる農家がいなければ、地産地消はおろか、産地形成すらできない。
この局面で、北さんはまたしても糸口を見つけた。たまたま目にしたテレビの情報番組で、新潟県でイタリア野菜を栽培するグループが紹介されていたのだ。メンバーは米農家の後継者など若手が中心で、本業と並行して栽培し、地元のレストランなどに出荷していた。さっそく新潟に飛び、栽培農家の話を聞きに行った時のことを、北さんはこう振り返る。
「田植えが終わって、苗床があったスペースにたまたまイタリア野菜の種をまいたことから始まったそうです。彼らは野菜を作るだけでなく、マルシェやイベントなどいろいろな活動もしています。行ってわかったのは、経営の決定権があるお父さんたちに頼むのではなく、若い人たちに声をかけるべきだったということです。『面白そうじゃん』と言ってノリで作るようなところから始めるのがいいんじゃないかと」
新潟の例にヒントを得て、再度若手農家のグループに当たっていったところ、有望と思われたのが、当時、小澤祥記さん(第1回参照)が代表を務めていた若手グループ「岩槻4Hクラブ」だった。活動の一環として、日頃から新しい作物をテスト栽培するなど研究熱心なメンバーが多く、実はトキタ種苗が渡した種で試作もしていた。ただ、それを仕事として安定的に作れるのかという不安があったという。北さんと福田さんは、販売先も流通も確保したことを小澤さんたちに伝え、「作ったものは全部買う」と約束した。
小澤さんの畑で生き生きと育つ、スイスチャード(左)と茄子のフィレンツェ
2013年、発案から4年の歳月を経てヨロ研は発足した。その年の秋に初出荷できた農家は4人。売上もわずかだった。自らも畑を借りて一通り作ってみたという福田さんは、未知の野菜を予定通りに作ることの難しさをこう語る。
「レストランに使ってもらおうと思ったら、たとえば1カ月といわれたら1カ月間、ずっと同じ量を提供することを求められるのは当然です。でも2年目ぐらいまでは、最初の週に300個とれても次の週は50個しかとれず、その翌週はゼロ、なんていうこともありました。大口の取引先には相手にしてもらえませんでしたね。まずは規模の小さい店を中心に販売することから始めました」
当連載第2回でトラットリア・アズーリの阿部正和シェフが言及していたように、技術が未熟だった当初は、とても生では食べられないレベルの野菜もあった。農家による出来不出来の差も大きかったという。それでも北さんは、品質が良くないものも含めて買い取り、加工するなどして使うよう各店に指示していた。生産量を落とさないように農家を支え、苦しい時期を乗り切ることがなにより大切であるとわかっていたからだ。
ヨロ研はスタートして半年後、流通を担っていた青果卸が脱退するという苦い経験をしている。生産量も取引先も少なく、ともすればトラックで野菜を1個だけ運ぶというケースもあったため、運送コストに合わないというのがその理由だった。
流通を失えば、ヨロ研は成り立たなくなる。北さんは、乾物や調味料など業務用の食材を毎日トラックで飲食店に届けている関東食糧株式会社(桶川市)に連絡を取った。ヨロ研がやろうとしていることを語り、それまでまったく取り引きがなかった業者に、本来取り扱っていない生鮮品を運んでほしいと頼んだのだ。北さんが振り返る。
「うちの4店舗分の乾物の扱いをすべて関東食糧さんに移すから、明日からでもやってほしい、それも全量買い上げで、とお願いしました。やります、と社長は言ってくれました。もしノーと言われていたら、ヨロ研の事業はあそこで止まっていたでしょう」
関東食糧は約束通り全量を買い上げ、商品にならない野菜は、サンプルとして無料で飲食店に配った。店では加工したり、使えるところを切って野菜スティックにしたりしていた。そこで追い風となったのは、熱いニンニクオイルソースに生野菜などをディップして食べるバーニャカウダの流行だ。味が濃く、日本の野菜にはない鮮やかな色をしたヨーロッパ野菜を使うことで差別化できるため、飲食店からの注文が増え始めた。
農家メンバーたちも、経験と知恵を結集し、情報を共有しながら栽培ノウハウを積み上げていった。家業としてやる仕事との両立に苦労しながらも全体のレベルアップを図り、独自の出荷基準を設けて品質管理にも力を入れた。そんな農家のモチベーションを上げるため、福田さんは事務局として広報に力を入れてきた。その理由をこう語る。
「小澤さんの家がそうだったように、お父さんたちの世代も新しいことをやろうとして失敗した経験がありますから、ヨーロッパ野菜の栽培には賛否両論がありました。だから、テレビや新聞などメディアにどんどん露出してPRしたんです。がんばって新しいことをやってるな、と親や親戚にわかってもらい、応援してもらえるようにするためです。周りから注目されるようになって、農家メンバーも自信を持ってやるようになりましたね」
左から時計まわりに/ヨロ研発足のきっかけとなったチーマ・ディ・ラーパ(写真提供:ヨロ研事務局)、小澤さんが生産するフィレンツェ、フェアリーテイル、ロングパプリカのパレルモと唐辛子のハラペーニョ
誇りに思い、自慢できる町にする
北さんを会長、小澤さんを副会長として、ヨロ研は農家、種苗会社、流通、飲食店、事務局(行政)の5本の柱で立つ。発足から3年ほどで野菜の安定供給が可能となり、5本の柱はより強固になった。福田さんが財団として参加したことで、自治体との連携も進んでいる。
2017年からは「さいたま市長杯 さいたまヨーロッパ野菜料理コンテスト」を毎年開催。そして2018年には「さいたま市学校給食統一献立~10万人でいただきます! 給食~」がスタートした。県内のシェフ18人からなる「シェフクラブSAITAMA」と市教育委員会、ヨロ研が協力し、市内の全公立小中学校162校の約10万人の生徒に同一メニューを提供する取り組みが年に一度行われる。このことは大いに意味がある。発足時から、ヨロ研にはある理念があったからだと、北さんは言う。
「『安心安全な野菜をとおして、自分たちが住む地域に対する郷土愛を醸成しよう』という理念を共有してきました。進学や就職をしてから、給食の話をすることってありますよね。今の子どもたちが将来、『さいたま市はイタリアン給食があった。パスタとミネストローネが出て、フォカッチャにオリーブオイルをつけて食べてたよ』なんて言ったら、他地域の人たちから『埼玉はおしゃれでいいね』と言われるかもしれない。住んでいる人たちが、自分の町を誇りに思う、自慢できる、というのがわたしたちの活動の中での一つの目的になっています。郷土愛が生まれれば、これまで素通りしてきた畑に、地元の人がもっと関心を持つようになると思います。農家は、地域からいちばん感謝されていい存在なんですから」
ヨロ研は2018年に年間売上が8000万円に達し、次なる目標として1億円をめざしていたが、コロナ禍による二度目の緊急事態宣言の発令で注文が半減している。ノースコーポレーションは、ヨロ研野菜をはじめとする県産品を使った「埼玉の生産者と共に乗り越えよう弁当」を発売。近距離の注文者には配達もしている。農家メンバーも、消費者が家庭で調理する機会が増えていることに着目し、ネットショップや食材宅配サービスでの販売を強化。百貨店や小売店への販路拡大にも力を入れ、売り上げ回復を図っている。
トラットリア・アズーリ店内の壁には、北さんがイタリアで入手したリトグラフがかかっている。モダンなインテリアの中でひときわ目を引くのは、床から天井までワインボトルがびっしりと格納されたタワー型のディスプレイ。ラベルにサインが入っているボトルもある。ソムリエの資格を持つ北さんが、来日した生産者から直接贈られたものだ。ボトルを手に、北さんが語る。
「ワインの世界では、産地の土壌や気候、地形などが生み出すワインの特徴を生産者が説明する場があります。生産者とソムリエ、レストランが話をするのは素晴らしいことですね。ソムリエは生産者の情熱に共感し、そのワインの魅力を消費者に伝えたり、料理に合わせるペアリングの工夫をしたりする。農業の世界でこれができれば、生産者のモチベーションはぜんぜん違ってくるんじゃないかと思います」
ヨロ研の取り組みが成功しているのは、マーケティング発想を取り入れた産地形成をしてきたからというだけではない。郷土愛の醸成という理念のもと、時には採算や効率、損得などを脇に置いてでも前へ進もうとするスピリットが、その活動の源泉にあるからだ。
ここに住んでいてよかった。ここで仕事をしていてよかった――。地域住民みんながそう思える未来を、ヨロ研はめざしている。
おわり
さいたまヨーロッパ野菜研究会
問い合わせ :https://saiyoroken.jimdofree.com
トラットリア・アズーリ
問い合わせ :https://trattoria-azzurri-musashiurawa.gorp.jp/
【特集】さいたまヨーロッパ野菜研究会:
成見智子(なるみ・ともこ)
ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、旅行情報会社の編集・広報担当を経て独立。東南アジアの経済格差問題をテーマに取材活動を始め、2010年からは地域農業の現場取材をメインとする。日本各地の田畑や食品加工の現場を訪ね、産地や作物の紹介、6次産業化・地産地消の取り組みなどの現状をリポート。