特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想~50年間の歩みを追って[前編]

埼玉トカイナカ 丘村奈央子

「神山さんの最近の動きはあまりに多岐にわたっているし、そもそもトカイナカ構想はどこから生まれたのか? いまひとつわからない。ここで最近の活動を客観的にルポしてもらったら」と、ある人のアドバイスから始まった、神山典士密着プロジェクト! ライター丘村奈央子、カメラマン北村崇が三重県松阪~志摩~長野県松本~黒姫作文教室4泊5日の旅を通して神山を「狙う!」。そこに浮かび上がった姿は……。

文=丘村奈央子 写真=北村 崇(神山典士提供写真以外)

始まりはいつも唐突

「おおおおー!」

 3日前に62歳になったノンフィクション作家、神山典士さんは低い雄叫びをあげながら猛スピードで雪の坂道を滑り降りていった。道具はスキーやスノーボードではない。雪滑り用に作られたお尻サイズの薄いプレートだ。

 子どもにはちょうどかもしれないが、同年代の中ではガタイのよい神山さんが乗ろうとすると肩をすぼめて小さくならなければプレートに収まらない。それでもうまく形を作って足の間から短い持ち手を取り、ためらいなく両脚を上げて神山さんは下向きに勢いよく体重を任せた。おなじみの青いロングコートが傾き、雄叫びとともに細い雪道を滑っていく。

 スタート地点の高さは3階建てくらい、坂の角度は30度ほどだろうが、覗き込むとコースが垂直にも見える。ガガガとプレートが硬い雪を削る音も一緒に坂を落ち、神山さんはプレートを掴んだまま雪の上を転がるようにして20mほど先の地面に着いた。

 丘に残った子どもたちとスタッフがその度胸とスピードに喝采を送る。
「うわ、速ええ」
「すごーい!」

 この雪山トレッキングを引率する「ラボランドくろひめ」支配人の道上忠之さんは、神山さんの勇姿を見届けながら「いやあ、体重が重いから速いんだ」と子どもたちに解説している。

176cm84kg、週4回の筋トレで鍛えた太めの身体! が重力で落下!?

 ここは長野・黒姫高原の御鹿池遊歩道。私は神山さんの活動ルポを書くために5日間の旅に同行している。最終行程は1泊2日の作文講座合宿で、実はこの雪山トレッキングも立派なカリキュラムの一環だ。子どもたちは五感で雪山を体験し、言葉を探して作文を書いていく。

 神山さんはチャンピオンベルトのようにプレートを掲げながら「面白かった!」と丘の上に戻ってきた。子どもたちは神山さんを囲んで思い思いの感想を話している。保護者として同行しているお父さんお母さんたちも賑やかに笑っている。

 同じような光景は、この数日で何度となく目にしてきた。神山さんは相手が初対面の人でも馴染みの人でも、どんどん中に入って溶け込んでいく。年齢や立場に関係なくとにかく声をかけて励まし、自らも実践して場を盛り上げる。結果を残すとパッと次の舞台へ移って新しい輪を作り、その場を共有する新しい人と人をつなげていく。

 繰り返し目の当たりにすると、「これが風の民なのだな」と自然と思うようになった。「風の民」というワードは神山さんが2017年に出した本『成功する里山ビジネス』(角川新書)に登場する。この本のまえがきでは「この世には極少数だが、風のように自由に各地を行き来して、新しいトレンドに敏感に反応し、それまでになかった価値や生き方を生み出す人たちがいる」と説明されている。
 
その言葉は神山さんを表しているようだ。

雪山トレッキングは、長野県の黒姫高原にある宿泊ロッジ「ラボランドくろひめ」で開かれた作文教室のカリキュラムの一つ

旅の始まり

 それまでも「神山典士」という名前は何度か見たことがあった。

 2018年に出た『150冊執筆売れっ子ライターのもう恥をかかない文章術』(ポプラ社)は、書き方について悩んでいたときにちょうど目の高さに面陳されていて、表紙に描かれた太ゴシックの「神山典士」の文字が飛び込んできた。「そういえば知っている人だ」と本を手に取ったのが今につながっている。

 書かれていたメソッドは神山さんの根幹ともいえて、文章講座で解説を聞いた人は多いだろう。文章作りで大切なのは「五感を使って書くこと」。書き手が見た、聞いた、嗅いだ、味わった、触れたときの感覚を呼び起こして、それを文字に起こす。メソッドの実践方法まで解説された本は描写が苦手な自分にとって非常に分かりやすく、Facebookで名前を探して感想を送ったのが最初だった。

 そこから私が信州大学人文学部の後輩であることが伝わり(見つかるのは非常に珍しい)、都内で文章教室をやっているので来てみたらと誘いを受けて通い始めた。だから私にとって神山さんはライティングの師匠にあたる。

 2022年4月中旬、なぜか雪山をトレッキングすることになった旅も、文章の悩みを相談したのが始まりだった。「もし何かヒントがあれば」と送った文の返事はこうだった。

≪レポーターの仕事あるんですが、4/13-17スケジュールありますか?≫

 無意識に「は?」と声に出ていたと思う。13日から17日なら泊まりがけだろうか。文章について相談してこの答えということは、たぶんこの仕事が役立つと思われて声がかかっているのだろう。ただ今までは会議室で話を聞くような仕事しか経験がない。お声がけは嬉しいけれど務まるのだろうか。

 ぐるぐる考えながらカレンダーを確認すると幸いこの期間は何もなかった。次の週はぎゅうぎゅうに予定が詰まっているのに、なぜかこの期間は真っ白だ。これはどこかの神さまからの「行け」という思し召しに違いない。自分の気が変わらないうちに「日程大丈夫です」と返事を打った。

 すると程なく「三重県の寺社訪問、伊勢志摩のアトリエ訪問、松本を経由して黒姫高原で作文教室」というざっくりした行程が届いた。これ以外の詳細がよく分からない。どこに泊まるのか、何をレポートするのか、誰が来るのか、狙いは何か。そもそも、なぜこの旅へ行くことになったのか。分からないけれど行くことだけは決まった。ここからすでに私は「風」に巻き込まれていたようだ。

末席を汚している「エンジン01文化戦略会議」教育部会の会食風景。毎回2時間半ほぼ沈黙を貫く。貴重な修行の時 写真=神山典士提供

川崎市のトカイナカヴィレッジを訪問 写真=神山典士提供

大学時代のヨーロッパ放浪

 現在、神山さんは埼玉県ときがわ町を拠点にした「埼玉トカイナカ構想」の活動に力を入れている。地元で共鳴してくれたサポーターの熊木裕高さんが「神山さんの活動をもっと広く知ってもらえるように」と提案して今回の旅ができたらしい。

 三重県で合流したカメラマンの北村崇さんは、神山さんとは30年来の付き合いだ。過去の海外取材案件や多くの著書制作で神山さんと併走している。新幹線経由で三重に着いた私たちとは別に、北村さんは移動用も兼ねて車で来ていた。

 今日の宿泊先どころか到着後の予定もよく分からない。運転席に座ってスキンヘッドを撫でている北村さんに聞いてみた。

「こんなふうに予定が決まってないことってよくあるんですか」
「あるねえ。まあ大体こんな感じだよね」
「大体こんな感じですか……」
 未定に対して、北村さんは特に何も心配していない様子だった。
「神山さんのところにはね、面白い仕事があるんですよ。そのとき中身がよく分からなくても、たぶん面白い仕事だろうということは分かる」
 言葉を継いで「だから今もこの仕事を続けられてるんだよね」と笑う。

 神山さんは昔から風のような軽やかさを持っている。例えば学生時代は大学2年目が終わったところで1年間休学し、ヨーロッパを見て回った。

「大学2年のときに全学の大学祭の委員長をやって、そういう組織活動みたいなことはまあ一区切りだなと思った。半年アルバイトしてから半年旅をしたんだけど、1981年だったかな」

 スタートはフランス東部のディジョン、そこで1カ月間フランス語を学ぶ。その後は語学学校で出会った友人を巡ってロンドン、スコットランドは首都エディンバラとネス湖、イタリア、コルシカ、ギリシャ、そこから当時のユーゴスラビアへ電車で戻り、ドイツ、オランダ、スウェーデンまで足をのばした。

「当時の西ヨーロッパ中を巡れるインターレイルパスっていうのがあってね。でも途中で20kgのデイパックを全部持っていかれちゃったのよ、全部俺が悪いんだけど。パスポートとインターレイルパスと5千円ぐらいしかなくなっちゃった。幸いトラベラーズチェックの控えがあったからパリに行ったらお金が戻った。だからパリに行けば何とかなるという印象が今もある」

 お金が入ったらまた南仏へ向かったというから強い。この体験は今の「トカイナカ構想」にもつながっている。そこには日本のような一極集中でなくともきちんと成立する社会があったのだ。

「例えばフランスだったらパリでもそんなに人口が多くない。200万人くらいでしょう。それとは別に食の都としてリオンだとか、農業大国としての一面もある。だから今でもそうだけど、フランスの小さな町に行ってもシャッター商店街なんてないのよ。個人のお店が元気にやっているし、マルシェの伝統があるから決まった曜日に周辺の農家の人が来てマルシェが立つんだよ」

ヨーロッパ放浪の翌年、ドイツからやってきたハンス(中央)。入間市の実家に1カ月も滞在していった 写真=神山典士提供

 日本では、逆に全てが中央に集まってしまった。加えて、東京に人やモノを集める政策の裏では「村を捨てる教育」が続いてきたという。

「生まれて義務教育が終わるまでの15~16年間は一生懸命育てるけれど、その子たちは村を捨てて東京へ行って帰ってこない。そうすると次に生まれた子にも『ここは何もないから東京へ行け』と言うでしょう。地方ではずっとそんなことを耳元でささやかれ続けている」

 神山さんは、それが3世代続いたら子どもたちは「ふるさと」を顧みなくなるという。確かに3世代で都会の便利さに慣れてしまうと他の地域へは目が行きにくくなるだろう。だからこそ今、若い世代から地方・地元の魅力を再認識してほしい。「トカイナカ構想」も地域見直しの一環だ。

中編に続く)

特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想[前編]
特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想[中編]
特集:神山典士の仕事×トカイナカ構想[後編]

神山さんの娘・めぐさん(左)は毎日新聞社の大分支局で記者として勤務 写真=神山典士提供

神山さんの父・神山幸士(さちお)さんの若き日のひとコマ。やはり熱血だった 写真=神山典士提供

執筆者プロフィール

丘村奈央子(おかむら・なおこ)

1973年生まれ、長野県松本市出身。親の転勤により鶴ヶ島町(現・鶴ヶ島市)に在住経験あり。信州大学卒業後、新聞社の広告営業職から編集職を経て2010年からフリーライター。主に一般企業のサイトや広報誌などを手がける。著書『「話す」は1割、「聞く」は9割』(大和出版)など。

https://edi-labo.com/



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