写真提供:ゴ・エ・ミヨ ジャポン
国内外で数々の賞を受賞、フランス政府からはシュバリエの称号を受勲している栃木・宇都宮のフランス料理店「オトワレストラン」の音羽和紀氏。名匠が目指す「美食」という文化による街づくりとは。
文=仲山今日子(ジャーナリスト)
文化を根付かせるには代々続くレストランが必要
「シェフは、料理だけでなく、異なった業種と手を携えて、街づくりに尽力していかなくては。レストランに外から人が集まるようになれば、道を整備し、花を植えるようになり、街が発展していくのだから」
そう語る音羽和紀氏は、まるで朗らかな台風のようだ。現在74歳、近年、地方の個性あふれる食が注目されて耳にするようになった「ローカルガストロノミー」という言葉がまだ生まれもしていなかっただろう1981年、故郷である栃木県宇都宮市にフランス料理店(現在のオトワレストラン) をオープン。
写真提供:オトワクリエーション
フランス政府からシュバリエの称号を、2018年にはルレ・エ・シャトーからアジアで唯一「今年のシェフ賞」を受賞、21年11月には、食と農をつなぐために設立された農林水産省による顕彰制度「料理マスターズ」で、史上初のゴールド賞を受賞するなど、国内外で数多くの賞に輝く。
目指すは、地域が誇る食文化の確立。日本全国を飛び回り、食を通した地域づくりの講演を行うほか、小学校を訪れて子どもたちの食育活動を行うなど、食と地域、文化をつなげる抜群の「巻き込み力」で知られる。
ローカルガストロノミーの本質は、決して新しいものではない。その原点とも言える景色が、音羽氏の脳裏には焼きついている。20代の頃、巨匠アラン・シャペル氏のレストランがあった、リヨン近郊の村ミヨネーでのことだ。何もない村なのに、シャペル氏のレストランで食事するために世界から人が訪れ「世界一素晴らしい村だ」と誇りを持つ地元の人々に出会った。
元々は東京に店を出そうと考えていたが、この出会いがきっかけで、「地方に美食を通した文化拠点を作る」という夢を描き、故郷の宇都宮に店を開くことを決めた。文化を根付かせるためには代々続くレストランであることが必要だと考え、息子や孫の世代に引き継ぐことを目指しての設立だった。
念願通り、3人の子どもは音羽氏に「巻き込まれ」、いずれもレストランを継承。開業当初、夫婦で仕事をしていたため、子どもたちは夜中まで留守番をすることもあったそうだが、「あまりにも楽しそうに仕事をし、夢を語る父の姿に、自然にこの仕事に惹かれていった」と口をそろえる。
数年前から、厨房の指揮は長男の元さんに譲り、サービスは料理人でもある次男の創さん、ウエディングやマネジメント業務は長女の香菜さんが担当する。
長男がシェフ、次男が支配人、長女がウェディングを担当。奥様もマネジメントを務める音羽ファミリー(右から2人目が音羽和紀氏)。宇都宮市の「オトワレストラン」前で 撮影=Haruko Amagata
食と農と観光をつなぐ料理人の新たな役割
東京と比べ、ファインダイニングの顧客層が厚くない宇都宮で店を続けていくには、「地域に寄り添い、必要とされる店である」ことが大切だと考えている。
フランスの地方には、50年以上ミシュラン三つ星を取り続ける地元食材中心のローカルガストロノミーのレストランが数多くある。それらの店が果たすのは、世界中から訪れるゲストに対して、地元食材のアンテナショップのような役割。ゲストが集まることで、周囲に良質なホテルやバー、ベーカリーなどもできる。その結果、複合的な楽しみ方ができる観光地となり、地元の人々の地域への誇りのよりどころとなるーー。
そういった店は「メゾン(家)」と呼ばれ、ちょうど日本の老舗料亭のように、家族が代々引き継いでゆく。宇都宮の地に、食の文化を作る。音羽氏は、そのためには、世代を超えた継承、つまり時間という「縦軸」のつながりと同時に、今を生きる私たちが、地域のために、業種を超えてつながってゆく「横軸」の広がりが大切だと考えている。
「食と農と観光が、既存の縦割り体制で別々のままでは、誇りある地域づくりはかなわない。それをつなぐためには、これからの料理人は料理だけでなく、他のジャンルの人と協同することが大切だと思っています」
朗らかな台風は、今日も多くの人を巻き込みながら、豊かな食のある未来に向けて進んでいる。
【オトワレストラン】
:https://otowa-artisan.co.jp/
仲山今日子(なかやま・きょうこ)
テレビ山梨、テレビ神奈川アナウンサーなどを経て、World Restaurant Awards審査員。現在、イタリア、シンガポールなどの海外や日本の雑誌にレストランについて執筆。キリマンジャロ登頂など、趣味は海外秘境旅行。現在、約50カ国更新中。
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