特集:埼玉のローカルガストロノミーを考える~地産地消40年の音羽和紀シェフを迎えて

佐竹ひと美 成見智子

 地元の生産者が育てた農畜産物を使い、その地域の文化や伝統、歴史、人との関わりまでを含めた地域の“テロワール”を表現する――。そんなガストロノミーを志してきた栃木県宇都宮市の「オトワレストラン」シェフ、音羽和紀氏は2021年秋、農林水産省の料理人顕彰制度「料理マスターズ」で史上初のゴールド賞に輝いた。“栃木フレンチ”の愛称を持つ同店が使う野菜の95%は地場産で、取引する生産者は年間のべ100軒以上にのぼる。

 地産地消を求め続けて40年。2022年6月にキユーピー株式会社が深谷市にオープンする農業体験施設「深谷テラス ヤサイな仲間たちファーム」の監修も手がける音羽シェフは、2021年11月13・14日、埼玉の食の現場を訪れた。3軒の生産者、2軒のレストラン、1軒の直売所。生産や創作への思いを語る人々と出会い、縁を結んだ。

写真・文=成見智子(ジャーナリスト)

写真提供:オトワクリエーション

農業の町、深谷市が誇る「武州和牛」

 宇都宮から、電車を乗り継いで約2時間。11月13日、11時の待ち合わせ時間より15分以上も早く、音羽和紀シェフの姿は東武東上線・小川町駅にあった。

「予定より早い電車に乗れたのでね、駅の周りをぐるっと歩いてきました」

 これまで何度か埼玉を訪問しているというシェフは、「東京に近い場所ですが、市街地を離れると田舎の風景がちゃんと残っていますね」とその印象を語る。すでにいくつか注目している特産品もあるようだ。

「在来種で『埼玉青なす』というのがありますね。今は収穫期ではありませんが、いずれ機会があれば生産者と会ってみたいです。栃木と同じように埼玉にも、いいものを作ろうと努力している生産者はたくさんいるでしょうね」

 駅から南へ徒歩500m。最初に訪れたのは、2021年9月にオープンした里山フレンチ、「atelico(アテリコ)」。店名は、新島貴行シェフが「農の工房」をイメージして「atelier」と「agriculture」から連想した造語だ。

 入口の看板は、地元の鬼瓦工房の制作。店内の照明器具には小川町特産の和紙が使われ、窓辺やテーブルには、野山で摘んだ草花が生けられていた。この日のコースは「シイタケと長ネギのクルスティヤン」「地野菜の盛り合わせ」「香り豚のソテー」「ブランマンジェ」の4品。自家菜園や地元農家の野菜をたっぷりと使った料理が、磨きこまれたまな板皿や、伝統文様をあしらった瓦プレートに載せて出される。

 新島シェフは比企郡吉見町出身。日本とフランスで修行後、ロンドンの日本国大使館公邸の料理長を務めた。帰国後、日本各地の食材や工芸品などを見て回り、住み込みで農業も体験。食は「単体で存在するものではなく、気候風土や文化、歴史背景と深くつながっている」と実感したという。

 めざすのは、音羽シェフのような“食の外交官”。メニューの料理名の下には、農家の名前や器の工房名も記されていた。シェフの思いが細かいところまで伝わってくる店だと、音羽シェフは評価する。

「シェフがやろうとしていることと、店の創り方や雰囲気が一致していると思います。その土地の土、水、空気、風土だけでなく、歴史や人との関わりまでがテロワールだとぼくは思っています。宇都宮で店を開いた時も、それが大きなテーマでした。新島シェフはまだ始めたばかりなのに、よくがんばっていますね。お店をやるというのは、たいへんですから」

atelicoの前菜「地野菜の盛り合わせ」 写真提供:新島貴行氏

 食事のあとは、車を飛ばして約20キロ離れた深谷市へ。特産の深谷ネギやホウレンソウなどの畑が連なる田園地帯を通り、「武州和牛」を肥育する尾熊牧場(関連記事 )に到着した。尾熊将雄さんと妻の尚子さん、長男の太郎さんが、自宅の庭先でバーベキューの用意をして迎えてくれる。

 サーロインやロース、内臓のシマチョウ、そして最高級部位のシャトーブリアン。すべての部位を、音羽シェフはじっくり確かめるように味わう。22年6月、深谷市内にオープンする「深谷テラス ヤサイな仲間たちファーム」のレストランの監修を務めるシェフは、この地域ならではの食材の選定を始めている。生産者と直接会い、自分の足で地域の食材を見つけていく。それは修業時代から現在も変わらず続く、店づくりの原則だ。

 サシがしっかり入っていて味わい深いと評判の尾熊牧場の特長は、生後約10カ月で導入した素牛(子牛)を、23カ月間育てる長期肥育にある。肥育頭数は約3400頭。4カ所ある牛舎のうち、出荷間近の成牛がいる牛舎に将雄さんが案内してくれた。牛の首には、健康状態をAIで管理するセンサーがついている。体重が1トン近くあるという牛を、シェフはじっと観察していた。

「ここまで大きくなっても足腰がしっかりしている。きちっと安定した育成をしていますね」

尾熊牧場の牛の成育状況をを見る音羽シェフ

尾熊牧場の肉を音羽シェフが特別に料理した武州和牛ステーキ

「有機の里」小川町と、さいたま市の「ヨロ研野菜」

 翌14日、最初の訪問先は、農産物直売所「ときのこや」。ときがわ町と周辺の有機農家の直売所として、毎週日曜日に営業している。朝10時の開店を前に、白いパイプハウスの店舗ではスタッフがレジ台の設置や野菜の陳列を急いでいた。その間にも、駐車場には続々と車が入ってくる。

 店の前の列に音羽シェフも加わり、10分ほど待って入店。野菜が山積みされた陳列台の前で葉つきの大根を手に取ると、「やはり鮮度ですね」と微笑む。

「栃木にも有機の直売所はたくさんあります。お客さんが鮮度の違いをわかれば、繁盛しますね」

 2010年に地元の若者たちが始めた直売所は、場所や形を変えながら続いている。店内には各農家の写真が貼られ、自慢の農作物やこだわりの農法、家族の紹介なども綴られていた。市場流通品より、顔の見える生産者が畑から直接届けるものを選ぶ。それがこの一帯では当たり前になっている。

比企郡ときがわ町で毎週日曜日に営業するときのこや。スタッフが開店準備を急いでいた

ときのこやに並ぶ新鮮な野菜

 その源流を開いたのは、小川町下里地区にある「霜里農場」の金子美登さんだ。50年前から有機農業を実践し、現在では地区内の農家は全員、有機に転換している。金子さんはこれまで150人以上の研修生を育て上げ、小川町を「有機の里」と巷間に言わしめた。

 営農面積は3ヘクタール。農場入口に立つと、ニワトリや牛の鳴き声が聞こえてきた。母屋の前に重機を停め、金子さんが降りてくる。乗っていたのは、廃食用油を燃料にしたトラクターだ。

 母屋のそばのハウスには、収穫したばかりの野菜の他、自家採種するために乾燥中の野菜も保管されていた。「八丈オクラ」が入ったトレーを、金子さんは見せてくれた。

「実が大きくなっても柔らかいですよ。有機農業では、風土や地域に合った種を自家で育成していくのが理想です」

 金子さんの言葉に、シェフは大きくうなずいた。豆畑では、筋を取らずに食べられるという在来種の「秩父いんげん」を試食。農場を一周するように案内してくれた金子さんと並んで歩き、その話の一つひとつにシェフは耳を傾ける。落ち葉の発酵熱で育苗する「踏み込み温床」に触れたり、放牧場で牛の給餌をしたりしながら、堆肥の作り方や、在来種の野菜などについても熱心に尋ねていた。

霜里農場の金子美登さんから踏み込み温床の説明を受ける

 この日のランチは、さいたま市岩槻区の「ヨロ研カフェ」へ。ヨロ研=さいたまヨーロッパ野菜研究会(関連記事 )は、地域の関係機関や企業が参加し、ヨーロッパ野菜の生産・流通・販売・普及に取り組む任意団体だ。ヨロ研野菜を使う飲食店はこの店をはじめ、埼玉県内だけで1000軒以上に上る。

 ランチタイムのピークは過ぎていたが、客席は満席だった。音羽シェフは、ミネストローネと野菜カレーを注文。ヨロ研の副会長で生産者代表の小澤祥記さんが合流し、一緒に食事をしながら、ヨーロッパ野菜の栽培の難しさや、ヨロ研立ち上げ当初のエピソードなどを話してくれた。

 店は、岩槻人形博物館に併設する「にぎわい交流館いわつき」1階にある。店内にはヨロ研野菜や加工品の売り場も設けられ、人形博物館を訪れたついでに買い物をしていく客の姿もあった。立地や場所にあわせた店づくりができていると、音羽シェフは言う。

「ある程度の集客が望める場所にある店として、よく考えられたメニュー構成だと思います。加工品なども含め、この店に何が必要かということをしっかりと研究し、それが商品に落とし込まれているなと感じました」

 帰りがけ、音羽シェフの大ファンだという新妻直也シェフが店の厨房から出てきた。やや緊張気味に記念写真に納まる新妻シェフが着ていたスタッフTシャツを、音羽シェフは「いいね」と言ってスマホを向け、シャッターボタンを押した。

 岩槻区内の小澤さんの畑を訪ねると、ハラペーニョ、カリフローレ(スティックカリフラワー)、ビーツ、コールラビなどが育っていた。いつ頃から栽培を始めたのか、どれくらいの大きさのものを、どの状態で収穫して出荷するのか。畑を数カ所回って説明する小澤さんに、音羽シェフは相槌を打ち、時折質問もする。そして、小澤さんがサンプルで野菜を収穫すると、その色つやを見て、香りを嗅ぎ、咀嚼し、作物と周囲の様子を撮影した。

 撮った写真の送り先はもちろん、ともに深谷テラスに携わる次男の創シェフだ。「ちゃんと仕事してるぞ、と証明するためにね」と、シェフは相好を崩した。

音羽シェフとヨロ研カフェの新妻シェフ(左)、ヨロ研副会長の小澤さん(右)

野菜の魅力を満喫できる施設が深谷市にオープン

深谷テラスの施設イメージ 提供:キユーピー株式会社

 キユーピー株式会社は深谷市と事業契約を締結し、複合型施設「深谷テラス ヤサイな仲間たちファーム」を開設する。ファーム内には、香川県で年間約300種類の野菜を生産する有限会社コスモファームの中村敏樹さんが監修する体験農園や野菜教室、マルシェ、そして音羽シェフが監修するレストランを設置。野菜が栽培・収穫・下処理・調理を経て食卓に上るまでがわかる造りになっている。

 深谷テラスプロジェクト部長の海老沢智幸さんは、「野菜の魅力や価値に出会える場をつくりたい」と話す。

「農家さん自身がマルシェに立っていただき、『今ならこうやって食べたらおいしいよ』『こんな食べ方はどうですか』とお客様に直接伝えられるようにしたいですね」

 約30年にわたって同社の顧問を務めてきた音羽シェフにプロジェクトメンバーが寄せる期待は大きいという。

「野菜は、旬の中にも“はしり”“さかり”“なごり”がありますよね。そして同じ野菜でも、たとえば大根なら先のほうが辛くて根元にいくほど甘かったりします。そうした要素を含めて、その時にいちばんおいしい食べ方を、あますところなく提案していただきたいと考えています」

 料理する様子がよく見えるよう、厨房はオープンスタイルに。さらに、野菜の下処理室がマルシェからも見られるようにするという。

「一枚の布地からスーツが出来上がるように、一つの野菜が料理に仕上がるまでの過程をお客様に楽しんでもらえたらと。音羽シェフには“野菜を仕立てる”役割をお願いしたいと思っています」

 深谷テラスは、農業と観光の振興により、深谷市や県北・秩父地域を活性化させることを目的とした「花園IC拠点整備プロジェクト」の一環として開所する。生産者と消費者が直接ふれあう場として発展し、地域活性化や農業振興につながることも期待されている。

執筆者プロフィール

成見智子(なるみ・ともこ)
ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、旅行情報会社の編集・広報担当を経て独立。東南アジアの経済格差問題をテーマに取材活動を始め、2010年からは地域農業の現場取材をメインとする。日本各地の田畑や食品加工の現場を訪ね、産地や作物の紹介、6次産業化・地産地消の取り組みなどの現状をリポート。
成見智子


投稿順